「成績順授業料」という「秘策」における「KAIST」という先例

今さらながらと思いつつ、せっかくなので「KAIST自殺問題」関連のリンクをまとめておきましょうか。

大学と自殺

大学の学費

大学と自殺:KAISTでさらに自殺者

KAISTはどこに向かうのか

キリモミ状態のKAIST

天下のソウル大も日和った?

中村敦彦さんの著書にしばしば出てくる、学生時代にソープランドで学費・生活費・就職活動費を確保して大手企業に就職した女性のケースが、この先生の勤める大学での話だったことも思い出されます。

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大学の収入を増やす「成績順授業料」のススメ

税金投入の前に国立大学はもっと工夫できる
土居 丈朗 :慶應義塾大学 経済学部教授 2015年12月07日

文部科学省は12月1日、衆議院文部科学委員会の閉会中審査で、現在年間約54万円の国立大学授業料が2031年度には93万円程度に上がるという試算を明らかにした。値上げが決まったわけではないが、どうしてこのような試算が出てきたのか、背景を解き明かそう。

国立大学の収入は、国の一般会計から出される運営費交付金が中心となっている。付属病院を除く国立大学の収入は、2013年度では2兆2692億円。そのうち、授業料や寄付金をはじめとする自己収入が32.5%、運営費交付金は51.9%である(科学研究費補助金の間接経費分の収入や産学連携等研究収入は、自己収入に含めている)。運営費交付金の元手は国民が払った税金であり、授業料収入が主体の私立大学とはここが大きな違いである。

運営費交付金と自己収入のバランス

国立大学なのだから、国が税金で運営を支える方針はよい。世界に通用する研究を進め、学生の質を向上させる教育に力を入れようとすれば、おカネがいる。実際、国はこれまでも科学振興予算に他の予算を上回る増額を認めてきた。しかし、増税には抵抗が強い国民にさらなる税金の投入を求める前に、国立大学として何か収入確保の工夫はできないだろうか。

冒頭の試算は、10月26日に開かれた財政制度等審議会財政制度分科会での議論が布石となっている。国立大学の運営費交付金を今後毎年度1%ずつ減らし、大学側が努力して自己収入を毎年度1.6%ずつ増やせば、2031年度には国立大学全体で運営費交付金と自己収入がほぼ同額になるとの資料が提出された。

冒頭の2031年度とは、この資料が指すところの国立大学全体の運営費交付金と自己収入がほぼ同額になる年度を意味する。財政制度等審議会では、授業料の試算まではしていない。単に、国立大学が授業料や寄付金など自己収入を確保すべく、まだまだ工夫する余地があることを示唆したまでである。そうすることで、国の財政状況に左右されず、安定的な大学運営の基盤を築くことができるだろう。

それでいて、国立大学には授業料の値上げの裁量権が与えられているにもかかわらず、各大学横並びでほとんど行使されていない。おまけに、医学部でも文学部でも、どの学部に入学しても同じ授業料だ。授業料を上げれば優秀な学生が来なくなると懸念する声があるが、世界トップクラスのアメリカの大学はほとんどが、日本の国立大学よりも5倍前後の授業料を課している。それだけ高い授業料に見合った教育や研究を行っているともいえる。

もちろん、低所得世帯の学生や優秀な学生には、授業料での配慮は必要だ。世界的に見ても、一部の学生に対して授業料を減免することは珍しくない。また、給付型の奨学金を出すこともある。ただ、給付型の奨学金を出す発想は良いが、これだとまたぞろ国立大学が自己収入を増やすインセンティブがそがれる。国の予算で低所得世帯の学生に奨学金を出せば、低所得世帯の学生に配慮ができても、大学の収入が増えるわけではない。それでは今回の議論の文脈とは違う話になってしまう。

画一的な授業料は旧態依然の発想

給付型奨学金で話をそらしてはいけない。研究や教育を充実させるために、国立大学の自己収入を増やす努力をどう引き出すかが問われている。

その点について、筆者は秘策を持っている。それは、学生の成績順に授業料を変えることである。たとえば、成績が上位3分の1の学生は標準の授業料の半額、中位3分の1の学生は標準の授業料、下位3分の1の学生は標準の1.5倍の授業料をとるとしたらどうだろう。これなら、大学に入る授業料収入は、全員から標準の授業料をとったのと同じ収入総額となる。

これを踏まえれば、上位3分の1の学生は標準の授業料の半額、中位3分の1の学生は標準の授業料、下位3分の1の学生から標準の1.75倍の授業料をとれば、大学の授業料収入は約1.1倍になる。ここで3分の1と区切ったのは、数値例を簡単にするためであって、成績の区分を10区分とか細分化すれば、よりきめ細かい配慮が可能となる。また、高い授業料を避けようと、学業により専念するインセンティブを学生に与えることもできる。

他方、成績が下位の学生になぜ高い授業料を課すことが許されるのか、という疑問もあろう。成績が下位の学生は、上位の学生と同等の能力(全人格的なものではなく当該科目に関するもの)が身に着くようにするには、上位の学生に比べてより多くの教育の労力を大学・教員側が施さないといけないとみれば、それだけ高い授業料を課す根拠にもなろう。

こうしてみれば、冒頭の文部科学省の試算は、学生全員に画一的に授業料を上げるという旧態依然とした発想での試算である。標準の授業料を上げなくても、成績が下位の学生だけ授業料を上げることで、成績が上位の学生の授業料を下げつつ、大学の授業料収入を増やすことができる。

文部科学省の試算は、国立大学の努力を引き出すべきところを、全員の授業料を上げるかのようにあらぬ誤解を引き起こして、国立大学法人運営費交付金の予算減額を阻止する圧力をかけるものに成り下がっている。文部科学省には、是非、成績順授業料の試算をお願いしたいものだ。

ただこの秘策、賛同して下さる方はままいるものの、筆者が属する大学でさえ実施していない。実は、この秘策にはオチがある。成績順授業料を導入すると、学生が今までよりも成績にシビアになり、手ぬるく成績をつけていた大学教員には学生側からの圧力で成績の厳格化を求められることとなる。それを見越して、今までのように講義をゆるくやりたい大学教員の多くが導入に反対し、実施できない……という羽目になるだろう。

日本の大学の現状を見れば、実のところ、大学教員の講義に対する姿勢を改めることから始めたほうがいいのかもしれない。

http://toyokeizai.net/articles/-/95461

まあ、土居さんのこの議論の論旨は、財政を預かる財務省の立場に立って、文部科学省や国立大学に「こういう工夫をしろよ」と例示的にアドバイスをするものでしょう。「そういう立場からの議論とはこういうものだ」ということを、丁寧な解説付きで示してくれているのだと思います。最後に付け足し的に若干それらしいことを書かれてはいますが、これは教育の話ではありませんね。カネの話です。

こういうことを言う大学教員が財務省に重用され、こういう発想が財務省界隈ではウケる、ということを、よく覚えておく必要がありますね。

仮にこういう制度が慶応義塾大学などに導入されたとしたら、成績が下位になって過重な負担に耐え切れない場合でも、悲観して死を選ぶ必要はありません。その場から遠慮なく退出すべきです。生きる場所は他にまだいくらでもあります。大学の授業料収入増を目的とするその企みに唯々諾々と従属する義務も義理も、あなたにはありません。

離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応 (MINERVA人文・社会科学叢書)

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