甲子園に棲む「マモノ」の「優しさ」について

東邦‐八戸学院光星の試合、とりわけ9回裏の逆転のシーンは、甲子園で観ることが叶わなかったうえに、Wi-Fiががダウンしたせいでネット中継すら観れなかったのです。なので、その試合について経験的に何かを言うことはできないのですが、うーん。

このコラムには違和感が拭えないなあ。

いえ、わかるんですよ。わかるんですけど、もう一歩、踏み込んで考える必要があると思います。

「甲子園ファンは基本的に判官びいき」。その通りです。でも、その贔屓の仕方には、少なくとも2通りあります。

一つは、試合開始前からのもの。例えば、「弱小県」の代表であるとか、公立校であるとか、圧倒的不利な予想が立っているとか、そうしたチームの健闘を期待する。これも一つの「判官びいき」でしょう。

でももう一つ、試合の流れの中から出てくるものもあります。序盤から大量リードを奪われて、相手投手に打線が完全に抑え込まれているとか、そうした圧倒的不利な状況からの反撃、そこに肩入れして「負けるな!頑張れ!」と声援を送る。これもまた、トーナメント方式で「負ければそこで終わり」という高校野球の世界ではしばしば見られる「判官びいき」の一つの形です。

前者の「判官びいき」を念頭に置けば、2007年の佐賀北・2009年の日本文理と2016年の東邦との間に違いを感じる面はあるでしょう(私も最初にその話を聞いた時、「なんで東邦にそんな声援が?」と思いました)。しかし、その3試合には、「圧倒的に不利な試合展開の中、終盤に反撃を開始した」という共通項があります。公立とか私立とか優勝候補とかそうした属性とは関係なく、試合展開そのものによって生まれる「判官びいき」の波、というのは、確かにあります。

それが試合を左右する、ということもあるにはあるでしょう。でも、例に挙がっている3試合の中だけでも、結果的に見れば、中京大中京はその声援を振り切って優勝を決めています。グラウンドに乱入して試合を妨害するわけでもない「声援」がどのようなものであろうと、グラウンドの中で勝つチームは勝ちますし、負けるチームは負けるのです。八戸学院光星だって、最終的には逆転サヨナラ負けしましたけど、声援によって必然的に負けへと追いやられたわけではありません。それはどこまでいっても結果論です。

割れるような大声援を「敵」に回すことは、「試練」であるとは思います。けど、私はそれを「残酷さ」だとは必ずしも思っていません。今大会の準決勝第2試合、予想に反して北海にリードを許していたあの秀岳館にすら(と敢えて表現します)、終盤の反撃の際にはスタンドから大きな手拍子や拍手が巻き起こっていたシーンを思い起こせば、このコラムで「残酷」「移り気」と言われた甲子園の声援に含まれた「公正さ」と「優しさ」を感じずにはおれません*1

そもそも、精いっぱい戦って勝敗のついた両チームが引き上げるときの拍手、あれが「群集心理による悪ノリ」に付随するものでありうるのか、と思うのですよ。あれは、試合中から一貫した「どっちも頑張れ」「どっちも負けるな」という思いの表れなのではないですかねえ。

甲子園ファンの声援に潜む「残酷さ」。
八戸学院光星は、何と戦ったのか。
posted2016/08/23 11:00

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今大会最大の逆転劇の犠牲者となった八戸学院光星ナイン。彼らの目に、スタンドはどう映ったのだろうか。

text by 中村計 Kei Nakamura
photograph by Kyodo News

 ネット裏まで広がる手拍子。夏の甲子園で、それは球場全体が、一方を応援し始めていることを意味する。

 この手拍子が、今年ほど気になったこと、もっと言えば、得体の知れなさを覚えたことはなかった。

 そのきっかけは、8月14日の東邦-八戸学院光星の試合にある。2-9と東邦が7点を追う展開で迎えた7回裏、東邦は2点を挙げて4-9と詰め寄る。2死ニ塁で、4点目のタイムリーを放った一塁走者の藤嶋健人は盗塁を試みたが、タッチアウト。タイミング的には明らかにアウトだったにもかかわらず、藤嶋はヘッドスライディングを試み、東邦のトレードマークでもある純白のユニフォームが上から下まで真っ黒になった。

 今大会の注目選手の1人、エースで4番の藤嶋の、まさに泥臭いプレーに球場の雰囲気がにわかに変化した。

 東邦は得点差が開いてから、キャプテンでもある藤嶋を中心に「最後なんだから、笑ってやろう」と言い合った。その笑顔にも、ファンが少しずつ引き込まれていく。

 東邦は8回裏にも1点を挙げ、5-9とにじり寄る。まだ遠いが、少しずつ得点差が縮まる展開も「撒き餌」となった。

「魔物」の正体は、移り気なファン。

 そうして迎えた9回裏。攻撃が始まる前から、東邦のブラスバンドの演奏に合わせ、また一段階、調子の強くなった手拍子が起こる。

 続く第4試合は、2回戦屈指の好カード、横浜-履正社戦が控えていたため、球場は超満員に膨れ上がっていた。そのことも雰囲気づくりを加速させた。

 甲子園は、コロシアムのようにそそり立つ同じ高さのスタンドがグラウンドをぐるりと囲んでいる。そのため、空気が一方に偏るとプレーヤーは気持ちを逃がす場がない。

 異様な雰囲気だった。'07年の決勝で0-4で負けていた佐賀北が8回裏に5点を入れ、広陵を大逆転したとき、'09年の決勝で日本文理が9回表、4-10から9-10まで中京大中京を追い上げたとき以来の熱気だった。あるいは、それ以上だったかもしれない。

 甲子園に住むと言われる「魔物」の正体を見た気がした。それは、移り気なファンである。

「周りみんなが敵に見えました……」

 記者席の後ろの柵に手をかけた子供2人が手拍子しながら言った。

「こっから逆転したらすごいな」

 この言葉が、ファン心理を象徴していた。

 東邦の森田泰弘監督が振り返る。

「すごい手拍子だった。これに乗って行けそうな気がした」

 東邦の先頭打者がヒットで出塁すると、そこからは薪を次々とくべられた燃え盛る火のように、球場は熱狂の渦と化していく。手拍子だけでなく、ファンはそこかしこでプロ野球の応援のように頭上でタオルを回していた。

 結果を述べると、9回裏、東邦は6安打を集中させ、10-9でサヨナラ勝ちを収めた。ツーアウトとなり切れかけた流れをライト前ヒットでつないだ東邦の5番・小西慶二はこう振り返る。

「自分の力というより、お客さんが打たせてくれた感じ。イヤフォンをつけて、爆音で音楽を聞いてるぐらいの音がした」

 一方、7回からリリーフした八戸学院光星のエース桜井一樹は試合後、うつろな表情でこう声をしぼった。

「周りみんなが敵に見えました……」

ファンはどれほど本気で東邦の勝利を願ったのか。

 甲子園ファンは基本的に判官びいきだ。弱者が強者を打ち負かすドラマを見たいという気持ちは理解できる。だから、公立校の佐賀北の背中を押そうとしたことも、未だ全国優勝の経験がない新潟勢の日本文理に肩入れしたのも、少なからず気持ちを重ね合わせることができた。

 しかし東邦は、野球王国・愛知の、しかも全国優勝4回を誇る強豪中の強豪である。強豪だから熱狂的な声援を送っていけないわけではもちろんない。また、球場のファンを味方につけたからといって、どのチームも逆転できるわけではない。やはり、土壇場であれだけの集中打が出た東邦がすごいのだ。

 ただ、あれだけのムードになった必然性に乏しく、不自然さを覚えたことは確かだった。

 ファンはいったいどこまでこのカードに注視し、どれほどまで本気で東邦の勝利を願っていたのだろう。

群集心理が暴走するのは「悪ノリ」では。

 ネット裏で観戦していた1人の愛知出身のファンは言った。

「最初の方なんて、点入っても喜んでの俺らだけだったからね」

 次の試合を目当てに訪れていたファンが、単に逆転劇が見たいという軽い気持ちで便乗しただけではなかったか。

 ある関係者は「悪ノリ」だと批判した。よく「甲子園のファンは暖かい」と言われる。しかし、それが群集心理となって暴走し始めると、一種の狂気になりうる。この日ほど、ファンの声援が残酷に思えたことはなかった。

 後日、明徳義塾馬淵史郎監督はこう感想を語った。

「テレビで見とったよ。打たれた球は、みんな真ん中。なんでかね、ああなると魅入られたように真ん中に放ってしまう」

甲子園は、日本でもっとも「感情的なスタジアム」。

 今大会、東邦-八戸学院光星戦に近い雰囲気になりかけたことが何度もあった。まるで、ファンが自分たちの声援で結果を変えられることを知り、その快楽に味をしめてしまったかのように。

 しかし、ファンが期待したような展開にはならず、いずれも一時的な現象に終わった。そのことに思わず胸をなで下ろしてもいた。

 どこのチームを、どれだけの熱量で応援しようと、それはファンの自由だ。観客が逆転劇を演出するのも、日本でもっとも「感情的なスタジアム」、甲子園の魅力の一つだ。

 ただ、応援をするとき、ほんの少しだけ相手チームの心情に思いを巡らせてもいいのはないかと思えた。

 絶大なる味方。それは反対側から見れば、強大な敵にもなりうる。

http://number.bunshun.jp/articles/-/826338

個人的には、大会や試合の始まる前からの下馬評などで事前にヒーロー候補を決めて、そこに焦点を当てて試合を観るような態度のほうがむしろ、問題をはらんでいると思っています。予想は予想として、贔屓は贔屓としてあるのは当然ですけど、もっと「試合そのもの」を注視してもいいのではないか、と考える立場からは、「マスメディアの取材よりも甲子園のファンのほうがよほどまともだ」と思える場面は多々あります。

ということで、「熱闘甲子園」はまず、オープニングを「君よ八月に熱くなれ」に戻しなさい。

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*1:まあ確かに、東邦とは関係のない一般の観客までがタオルを回していたシーンは、「悪ノリ」と言われても仕方ないかな、と思わなくもありません。ただ、それが「非難や苦言に値するほどのことか」と言えば、そこまでのこととは言えないような…。