高野連、甲子園練習への女子参加を認める方向へ
こちらの記事の続報になります。
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議論の結果として高野連が出してきたこの方針については、積極的に評価したいと思います。きちんとした安全対策を取ったうえで、それでも女子マネージャーを「女子である」という理由で甲子園練習から排除する根拠があるとも思えませんし、妥当な判断でしょう。
甲子園練習、女子マネ認める方針…安全対策条件に
毎日新聞2016年10月27日 19時46分(最終更新 10月27日 20時23分)日本高校野球連盟は27日、大阪市内で技術・振興委員会を開き、今夏の全国選手権の甲子園練習に大分の女子マネジャーが参加して制止された問題について話し合い、安全対策の制限付きで参加を認める方針を決めた。11月25日の日本高野連理事会で承認されれば、正式に決まる。
8月の同委員会では安全性を理由に反対する意見が大半だったが、9月の全体審議委員会で「安全対策を講じて参加させることは可能では」という意見が半数あり、参加人数の多い甲子園練習に限り、制限を設けながらも認めることとなった。
日本高野連の竹中雅彦事務局長は「参加の方向にあるのは間違いない」と話し、今後、具体的な安全対策について考えていくとしている。【安田光高】
http://mainichi.jp/koshien/articles/20161028/k00/00m/050/034000c
これは、机上の理屈ではなく、現場のグラウンドレベルからの判断をすべきことだと思います。
2代目女子ノッカー、ナイン支え 羽水高マネジャー、中学ではエース
(2016年7月12日午前7時00分)
守備練習でノックを打つ羽水高のマネジャー古市琴美さん=福井市の同校グラウンド「もういっちょ!」。球児の声が響くグラウンドではいつもの守備練習の光景。だがノックを打つのは監督ではなく、女子マネジャーだ。福井県立羽水高野球部の“2代目”女子ノッカーを務める古市琴美さん(3年)。打球を外野奥深くまで飛ばし、キャッチャーフライまで完璧にこなすノックでナインを鍛えている。
古市さんは兄の影響で小学1年の時に野球を始め、足羽一中ではエースとして活躍した。羽水高野球部の八力昌輝監督が「きれいなフォームでいい球を投げる」と絶賛するほどだ。
進学先を選ぶ際、中学3年の時の学校説明会が転機となった。羽水高の野球部を見学した際、マネジャーがノックを打つ姿を見て「自分もやってみたかった。マネジャーもやりたかったし、なにより中学までやってきた野球に携わりたかった」と進学先を決断した。
入学してからマネジャーの仕事に加えて、自身のノックの練習も欠かさない。「監督のノックを受けている他のチームに比べて、守備力が劣ると思われたくない」と朝練習で約1時間1人で外野に向かってノックをひたすら打ち続けるなど練習を積み重ねた。
“初代”女子ノッカーの西山日向さん(19)は「選手に応じて打球を打ち分けている。私にはとてもできませんでした」とその技術に舌を巻く。山口真生主将も「チームの声が出ていないときには指摘してくれる」と頼りにしている。
2年生の夏から公式戦前のノックを担当するようになったが、ことしの春前、高野連からけがの恐れがあるためと公式戦で女子はノックができなくなった。「悲しかったし、悔しかった」と当時は1週間近く落ち込んだ。
だが、選手のためという本来の目的は見失わなかった。立ち直り、さらに練習に励んだ。今では「倒れそうになっても(ノックを)打ち続けている。なかなか僕に打たせてくれません」と指揮官は笑う。
高校最後の夏。ノッカーとしてグラウンドに立つことはできないが「今まで支えてくれたみんなに感謝している。一つでも多く勝ってほしい」とベンチからナインとともに最後まで戦い抜く。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/hibaseball2016summer/99654.html
〈福岡:白球がつなぐ(2)〉姉妹全力 練習着でノック・トスも
2011年7月5日10時43分
妹の真弓さん。打撃練習でトスを上げる=直方市頓野
ノックをする姉の秋貞江美さん=直方市頓野の直方高校放課後のグラウンド。直方高校野球部員の姉妹が、練習をともにしていた。
2年の秋貞江美さん(16)=宮若市=が金属バットで男子選手にノックする。少し離れて妹の1年、真弓さん(15)が打者にボールを上げる。
和田浩章監督(51)は、2人を「グラウンドマネジャー」と呼ぶ。男子と同じグレーの練習着を着て、ノック、トス打撃、走り込みを手伝う。規定で試合には出られない。それでも「野球が大好き」。その一心が2人を駆り立てる。
先に野球を始めたのは姉の江美さん。五つ年上の兄を追い、父が監督をする地元チームに5歳で入った。「初めての打席は球が怖くて泣いてしまった」
失敗しても励ましてくれる仲間がいるのが、楽しかった。中学校で迷わず野球部に。「女子でもやれるところを見せたかった」。男子ほど打球は飛ばず、投げる距離も短い。だから、「かけ声の大きさは誰にも負けない」という誓いを立てた。走り込みも、絶対さぼらなかった。
◎
高校でも続けたい。進学が決まり、野球部マネジャーになろうと思っていた。「経験があるなら」と、和田監督と池端敏春部長(47)がノックやトス打撃の補助をしてほしいと持ちかけた。「また、グラウンドに立てる」。江美さんは自分だからできる役目に全力を尽くそうと思い定める。
ノックがうまくできるように、家で家族相手にバットを振った。監督の選手へのアドバイスは、自分にも生かせるようにメモをとり、ノート1冊分になった。
◎
江美さんに刺激され、真弓さんもその背中を追った。小学1年で同じ地元チームへ。中学2年の秋に、姉に続いて同じ二塁手の定位置をつかんだ。
今年3月。直方高校に合格した。「部活は野球か、テニスか、迷っている」と江美さんに相談した。「試合を見に来たら?」。そう言われ、春の北部大会を見に行った。「やっぱり野球がやりたい」
江美さんは「ユニホームを着させてもらっている重みがある」と語る。体調がすぐれないのに練習に行こうとして、養護教諭に止められたこともある。
女子選手が甲子園に出られる日がいつか来る――。自分たちが野球を続けることで、その日を少しでも近づけられれば、と考えている。(桑原紀彦)
http://www.asahi.com/koshien/93/fukuoka/news/SEB201107050018.html
〈乗り越えていま2〉 生まれて初めてのヒット
2006年06月21日4月のある晩。JR日野駅の近くに車を止め、運転席で帰りを待つ母は、娘のいつもと違う様子に気がついた。
人ごみのなか、黒革の野球部のバッグをさげて歩いてくる娘は、満面の笑みを浮かべていた。
後部座席に乗り込む娘にわけを聞くと、もったいぶった。「家に帰ったら教えてあげる」。でも、娘は家までの5分間を我慢できなかった。
「お母さん、生まれて初めてヒットを打ったの」
グラウンドでノックを受ける小平南の細見綾香。男子部員にまじり、同じ練習をする
練習中、泥だらけになった顔が気になる=徳丸篤史撮影◇
この日の練習試合、都小平南の細見綾香(3年)は、試合で初めてのヒットを放った。打球は相手投手の横を抜け、センター前に転がった。細見はいつも練習していたリードの仕方を忘れるほど、一塁上で舞い上がった。
いつも迷惑をかけている母。朝練のため、4時に起きて朝食と弁当を作ってくれる。ドロドロのユニホームを洗おうとすると、代わってくれる。喜ぶ母の姿を見て、細見は何か返せた気がした。
◇
そんな母を一度だけ、苦しませたことがあった。中学2年生の夏だった。
「野球をやめたい。けど、やめられない。どうすればいいの」
家族旅行の長崎で、母とふたりで泊まったホテル。夕食をすませた細見は突然、切り出した。
思春期を迎え、深まる男子部員との溝。女子野球部員として、全校生徒から浴びる注目。そして、意地。
母は、娘の気持ちが痛いほどわかった。「あやがやりたいようにやりなさい。途中でくじけたと思われてもいいじゃない」
それでも、細見の思いは片づかなかった。らちのあかないやりとりを続けたあげく、何時間もベッドで大泣きした。
◇
高校に入っても、何度かくじけそうになった。やはり、男子部員との付き合い方だった。余ったバットを借りようとすると、断られたことがあった。練習をしていても自分だけ一人のような気がした。
でも、もう母には言えなかった。
代わりに、1学年上の女子マネジャーが相談に乗ってくれた。「周りと仲良くできないのは、あやにも悪いところがあるんじゃないの」。アドバイスや励まし、もらった手紙は何十通にもなった。一人じゃない。そう思うと、頑張れた。
◇
細見は小学5年のとき、弟の少年野球の練習を見に行き、「楽しそう」と思い加わった。
学校が終わると、家からグラブを持ち出して同じチームのメンバーと軟球を追いかけた。中学では野球部に入った。男子との体力差が出てきて、短距離走は一人取り残された。それでも厳しい練習は少なく、野球をすることが楽しかった。
だが、高校1年の夏合宿で、さっそく洗礼を受けた。個人ノックに、体ごとグラウンドにダイブを繰り返した。汗と涙で顔は泥だらけになった。終わると、達成感で泣きながら、ノックしてくれた監督に何度も頭を下げた。始めてから1時間ほどたっていた。
合宿所に戻り、着替えると、半ズボンから見える脚は赤紫色に変色していた。女子でも、特別扱いはされなかった。
いまや腕は男子と変わらない太さになった。Lサイズのワイシャツでも腕まくりができなくなった。
◇
日本高野連の規定で、女子の選手は高校野球の公式戦に出られない。夏の大会、試合前に吹奏楽部の奏でる音楽のなかシートノックを受けるのが、細見の夢だった。檀原潤一監督は言う。「30年近くやっていて、こんな意識の強い子は初めて。何でお前は女なんだとさえ思う」
夏の大会に出られない細見のために檀原監督が用意した引退試合は、雨で流れた。細見はいまも、男子部員にまじり練習を続けている。(敬称略)
http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/etokyo/news/TKY200606210209.html