【越後高田の風景】高田公園野球場と高田忠霊塔
旧師団長官舎からお城の高田公園へ移動します。
上越大通りに出て北へ歩いていくと、お堀の向こう側に上越市営の高田公園野球場が見えてきます。
城跡に野球場というのは各地でよくみられるパターンですけど、1949年に竣工したというこの球場、改装を経て高校野球の公式戦開催が可能な施設になっていて、なかなか素晴らしい施設になっています。
高田公園球場 両翼延ばし高校野球に対応へ
2013年2月21日 (木) 19:31 – 4年前新潟県上越市は、2013年度予算に高田公園野球場(本城町)の外野拡張など改修整備を行うための設計費を計上した。県高等学校野球連盟主催の公式戦が開催可能な球場にするためで、両翼を現在の90mから95mに延ばすほか、スコアボードも電光掲示板に変更する見込み。着工は14年度以降で完成時期は未定。
外野を拡張する高田公園野球場の左翼ポール付近(2012年9月のBCリーグ新潟-福井)1949年に竣工した同球場は老朽化に加え、両翼が90mと他の球場に比べ狭く、高校野球を含む野球関係者から外野の拡張や設備の改修を求める声が出ていた。市教育委員会体育課によると、同球場での高校野球公式戦は2010年夏の県大会を最後に行われていない。
昨年4月にはバックネット裏や内野席などの改修工事が終わったものの、外野の拡張整備は行われなかった。そのため上越市野球協会などが同年8月、改めて市に要望していた。
計画では中堅までの120mはそのままにして左翼、右翼のスタンドを狭め、外野を両翼90mから95mに広げる。スタンドの右中間にサクラの木が1本あるほか、スタンド外側にも球場に接するようにサクラの木が立ち並んでおり、拡張で外野に木がせり出す可能性があるが、体育課は「なるべくサクラの木を残す方向で拡張していきたい」としている。また手動式のスコアボードをバックネット裏の本部席から操作できる電光掲示板にする計画だ。
13年度は設計委託料で1009万円を計上。着工は14年度以降だが詳細な時期は未定。市は「なるべく早いうちに工事を行いたい」としている。
高田公園野球場で5年ぶり公式戦
春季北信越高校野球県大会、920人観戦
2015年4月30日 12時00分 更新5年ぶりの球音と歓声―。春季北信越高校野球県大会は29日に開幕し、上越市の高田公園野球場などで1回戦13試合が行われた。同球場で公式戦が行われるのは平成22年秋以来。待ちわびたファン920人が球場に詰めかけ、声援を送った。
昨年度、市が球場の両翼を90メートルから96メートルに拡張し、高校野球の公式大会を開ける規格となった。同時にスコアボードをLEDの電光表示に改修し、内野席などを増設、改修した。
この日は高田北城―上越総合技術、塩沢商工―高田商の1回戦2試合が行われ、球児の一投一打に歓声が湧いた。バックネット裏で観戦した男性(77、同市西城町1)は「スタンドがきれいで、グラウンドが広く、スコアボードも見やすくていいね。球児のはつらつとした姿から元気をもらえる。今後も来たい」と笑みを浮かべた。
第1試合で上越総合技術に7―2と勝利した高田北城の安田皓生投手(3年)は「応援が多くて緊張したけど、気持ちが高ぶって思い切り投げられた」と改修後初マウンドの感想を話した。
この日はほかの競技が重なったこともあり、県高校野球連盟で予定した球場周辺3カ所の駐車場は第1試合途中に満車となり、近隣校のスペースを開放した。来場した同市の中野敏明教育長は「駐車場の心配なく安心して高校野球の公式戦ができるように、しっかりと対応したい」と話した。県高野連の齋藤均会長は「しばらく時間が空いたので、今回の運営面を検証したい」と夏の公式戦の可能性にも触れた。
今後は5月1、2日に2回戦が2試合ずつ行われる。1日は平日で学校駐車場が使用できないため、県高野連は市の許可を得て、取り壊された第2テニスコート跡地を駐車場に充てるという。
ほぼ三方をお堀に囲まれているので、大ファールや場外ホームランはほとんどハスの中に飛び込むような気がしますけど…。
ただ、目的地はそこではなく(試合やってたんで観に行きたいとは思いましたがグッとこらえてスルー)、野球場に隣接した市営陸上競技場とテニスコートのその先です。
この辺りは桜の名所なので地元の人もよくご存知の場所のはずですが、忠霊塔そのものに注目が集まる機会はあまりないようです。
毎年8月に行われている戦没者追悼慰霊祭くらいなんでしょうかね。
終戦の日に恒久平和と不戦祈る
高田公園で戦没者追悼慰霊祭
2012年8月16日 10時30分 更新高田連合遺族会(田村武男会長)は終戦の日の15日、上越市本城町の高田公園内にある忠霊塔で戦没者追悼慰霊祭を営み、戦禍により命を落とした戦死者の無念とみ霊を慰めた。
平成18年12月に落成された忠霊塔には日清、日露戦争以降、5300余柱の霊が静かに眠っている。高田地区に限らず、直江津地区、旧中頸城郡などの戦没者も数多く含まれている。今春には直江津の平和の塔に保管されていた直江津遺族会(渡辺隆雄会長)の戦没者名刻印の銅板や遺品が収納された。
高田仏教会(老野生常昭会長)の僧侶の読経が厳かに流れる中、約70人の参列者は順番に静かに手を合わせ、恒久平和と不戦を祈った。
戦争孤児という田村会長は「忠霊塔を守り、市内全地区から集まった戦没者のみ霊を語り継ぎ、残していくことがわれわれの使命」と強調した。
フィリピン・ルソン島で父親を亡くした女性(70、上越市春日山町3)は毎年のように娘、孫娘と3代で参加し、「一昨年に現地へ行って慰霊してきて良かった。年を重ねても毎年、お参りさせていただきたい」と話していた。
遺族ら70人 恒久平和に思いはせる
高田公園内忠霊塔で戦没者追悼法要
2016年8月16日 14時00分 更新71度目の終戦の日を迎えた15日、上越市高田公園内の忠霊塔で戦没者追悼法要が営まれた。父や祖父を戦争で亡くした遺族ら約70人が列席。戦禍に没した最愛の家族の冥福を祈り、恒久平和に思いをはせた。
高田仏教会の主催。忠霊塔にみ霊の遺族で作る高田連合遺族会や合祀(ごうし)される直江津など市内各地の遺族、法要に合わせて周辺を草刈りした「琢磨の会」メンバーらが参列した。
読経や焼香のさなかには、故人をしのんで止めどない涙を流す女性も。法話では取り仕切った僧侶が、争いや戦争の根源となる憎しみや恨みを乗り越えるよう、御仏の教えである「怨親平等」の精神を呼び掛けた。
全国戦没者追悼式に出席した、高田連合遺族会の田村武男会長に代わって進行した、平丸実副会長(83、藤野新田)は父・恵治さんを昭和19年に、フィリピン沖の戦闘で亡くした。
「10年で遺族会会員は1200人から600人に半減したが、法要出席者は増えつつある。忠霊塔のある限り守り続け、戦争の悲惨さを後世に語り継いでいきたい」と話した。
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— 上越タイムス社 (@jtimesdg) 2016年8月16日
観桜会があったり長年フリーマーケットの会場だったりしていたことからもわかるとおり、忠霊塔の周囲は緑の多いスペースが広がっています。
ネット上にはここに言及したサイトがほとんど見当たらないので、この説明板の記述はちょっと貴重かもしれません。
そこに記述があるとおり、昭和18年にこの地に置かれた忠霊塔の周辺には現在、地区の慰霊碑や忠霊碑も集められていて、上越における戦没者慰霊の拠点となっています。
いちおう見て回った範囲で。
日当たりや樹木の影の関係で、石碑群はなかなかうまく撮れなかったのですが。
…というところで時間切れ。野球場と忠霊塔を見ただけで高田公園を後にすることになってしまいました。事のついでに街歩きすると、歩ける範囲はこんなもんです。