【大田の風景】大田追慕公園・2017夏

訪れた日という意味では、この日のことです。

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ですが、内容的には、こちらの関連です。

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今回は、現行の奉安堂前にある弘道塚についてはほぼ変化なしなので措いておくとして、自然葬地の再チェックをします。

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入ってすぐにある合同の祭壇と献花台。背後の横断幕には「自然葬地には碑石以外の造花や生花の設置は禁止、花を供えるならそこの献花台を使え」といった趣旨のことが書いてあります。

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まあ、花草葬地に花を供える人はさすがにいませんけどね。

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芝生葬地・樹木葬地ではそのルール、あんまり守られていません。

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禁止されているはずの場所の碑石にぴったりはまる大きさの額縁型の造花もあちこちに見えます。自作したとも考えられますし、ことによったら入り口の売店で売っているのかもしれません。そこのところはチェックするの忘れてましたねえ。

いちばん奥にある「幽宅の丘」にも、献花*1がその周囲にぎっしり置かれています。

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こういうのは、実際問題としての不都合が生じるとか、管理者側が強い意志で実力行使を行なうとかでない限り、遺族の心情に発する行為の方が事実上のルールとして定着してしまうこともしばしばあります。大田ではどうなるのか、次回以降のチェックポイントになります。

ちなみに、大田追慕公園の利用実態については下のページに掲載されています。埋まり方から見るに、安葬能力(収容人数)的にいちばん高い芝生葬が比較的人気であることがうかがえます。

시설현황 | 대전광역시시설관리공단
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ところで、前回の訪問の再履修としては、こちらも見ておくべきポイントです。

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前回も見ていた「九峰塚」。その時には碑の前に造花が置かれていたので気づかなかったのですが、「塊谷洞納骨堂6222位」「今古洞納骨堂1614位」の文字が刻まれています。裏が事務的な説明文でなかったので、それらの文字を見るまでこれが何なのか、前回訪問時にはいまいちよくわからなかったのです。

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塊谷洞はこの大田追慕公園があるまさにその場所、今古洞は世宗市に近い大田市の北部にあります。地理的にはずいぶん離れているのですが、改葬のタイミングが重なったか何かなんでしょうかね…。塊谷洞がそうであったように、今古洞ももともと共同墓地などがあった場所なのかもしれません。

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弘道塚・九峰塚の石碑がそれぞれ既存墓地の移葬の証であることを踏まえてみれば、こちらの石碑に書いてある内容も理解しやすくなります。1994年から1996年にかけてごみ埋め立て場の開発現場や各所の工事現場で掘り出された無縁遺骨をここに集めたわけです。この碑の設置自体は2013年のことで、それまでの数年間は九峰塚にその名がある今古洞の「선영각(先霊閣?)」に安置されていたと記されています。

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ネタ的に大田追慕公園からは離れますが、「今古洞の先霊閣」については、大田日報の2011年の記事がヒットしました。この時点ではまだ無縁墓として存在していたことが確認できます。

유성 구즉동 주민, 한식맞이 무연분묘 제례
2011-04-06기사 편집 2011-04-05 06:00:00

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대전 유성구 구즉동 주민들은 지난 4일 한식을 맞아 무연분묘에 제례를 올렸다.

구즉동 주민자치위원회(위원장 노정웅)와 지역 주민 40여명은 제물을 준비해 금고동 산 89번지에 자리잡은 선영각을 찾았다.

선영각은 지난 1985년 대전시 전역에서 공공사업 등을 시행하면서 생긴 연고가 없는 유골을 한데모아 안치된 납골당으로 현재 600여기가 안치돼있다.

각종 명절에도 아무도 찾지 않는 영혼을 달래고 지역의 안녕과 발전을 기원하기 위해 마련됐다.

노정웅 주민자치위원장은 “마땅히 돌보는 후손이 없다보니 지역민들이 힘을 모아 제를 올리게됐다”면서 “앞으로도 매년 주민들의 뜻을 모아 합동제례를 지낼 계획”이라고 말했다.

http://www.daejonilbo.com/news/newsitem.asp?pk_no=946350

「先霊閣は1985年、大田市全域で公共事業などを施行して出てきた縁故のない遺骨を一か所に集めて安置した納骨堂で、現在600余基が安置されている」といった説明がありますね。 この記事の写真では納骨堂の建物が見えませんが、門柱と壁の一部は見えますので、何らかの建物に無縁遺骨を納めていたようです。大田追慕公園への移転に至るまでの30年ほどの間、住民による祭礼が行なわれていたことがうかがい知れる記事です*2

ともあれ、九峰塚にもこちらにも納骨堂の旧所在地として刻まれている今古洞。地図を見ると周囲には複数の産業団地が展開していますし、最近ではテーマパークやら「焼却施設」やらの候補地として名前が挙がるなどしています。相当に長いこと、「そういう場所」として扱われてきたのでしょうね。

ここに見える住民の反発は、けっこう根深いものがあるような気がします。

www.hankookilbo.com
www.cctoday.co.kr

*1:大部分は造花ですが、一部に生花もあったように思います。

*2:ただ、大田追慕公園の碑に刻まれているのは1990年代の事案ばかりで、1985年に先霊閣が設置されていたとしたら、「できて10年ほどの間はどうだったのか」が疑問になります。「そのころからもともと誰かの無縁遺骨が納められていた」と考えるのが自然ですが、石碑に刻まれている「606基」という数字と大田日報の記事の「600余基」という数字とは、ほとんど一致しているも同然ではないかと思われます。とすると、「1990年代前半までは空っぽ同然だった」とも考えられます。はたまた「1985年」が「1995年」の誤植ではないかという可能性も排除はできません。まあ、残念ながら、今の手持ちの材料ではこれ以上のことはわかりません。