あ、森山高至さんの言ってることは正しいと思います。
「研究の軍事利用に反対する」というべき。平和を求めるためにも軍事研究は必要、歴史的にも極限状況である軍事研究が文明の発展を即してきた。机上の理想論に過ぎず学府として宣言すべきではない。→京大、軍事研究しない方針 「人類の幸福脅かす」 | 共同通信 https://t.co/jLpl8c519V
— 建築エコノミスト森山 (@mori_arch_econo) 2018年3月29日
京大、軍事研究しない方針
「人類の幸福脅かす」
2018/3/28 23:16 ©一般社団法人共同通信社
軍事研究を行わないとホームページで発表した京都大京都大は28日、軍事研究に関する基本方針をホームページで発表し、人類の幸福などを脅かすことにつながる軍事研究は行わないとした。
方針では、京大の研究活動は平和貢献や社会の安寧、人類の幸福を目的とするものだと指摘。軍事研究はそれらを脅かすことにつながるとして、京大の研究者は、研究活動が社会に与える影響を自覚しながら、社会からの信頼に応えていくことが求められるとした。
個別の事案に関して判断が必要な場合、学長が設置する委員会で審議するとした。
ただ、京大の基本方針の現物を読むと、「社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献するという目的を脅かすことに繋がらない軍事研究」については、これを行なう余地を残しているようにも読めます。そういうつもりで書いてるかどうかは知りませんけど。
京都大学における軍事研究に関する基本方針
本学は、創立以来築いてきた自由の学風を継承し、地球社会の調和ある共存に貢献するため、研究の自由と自主を基礎に高い倫理性を備えた研究活動により、世界に卓越した知の創造を行うことを基本理念に掲げています。
本学において研究に従事する全ての者は、この基本理念のもと、主体的判断により行う研究活動とその成果が将来に亘り地球社会に与え得る影響を自覚しながら、高次の専門的能力と総合的視野をもって社会からの信頼と負託に応えてゆくことが求められます。
このことから、本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします。
なお、個別の事案について判断が必要な場合は、総長が設置する常置の委員会において審議することとします。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/kihonhoshin/index.html
ともあれ、軍事研究イコール軍事利用される、というわけでは必ずしもないのは、「殺人研究が殺人に利用される」とかいった想定が全肯定も全否定もできないのと同じことだとも思います。「研究をするかしないか」に是非があるのではなく、そのやり方、また使い方や利用のされ方に是非があるのではないですか?
何でこんな風に変なことになるのかと言えば、ここで言われている「軍事研究」という言葉には、研究資金や人事権といった手段を通して研究の自主性・自律性を阻害するような「権力との関係性」に対する問題意識が込められているはずなのに、そこが言葉足らずになっているからです。文字通りに読めば、「軍事研究=軍事に関する研究」なので、そうした研究一般に反対するように読めてしまう。でも論点はそこのところではないでしょう?という話です。
この点、日本学術会議の声明の方が、まだ詳しく書いていますね。