【阿蘇の風景】2018年3月の南阿蘇村河陽・高野台

阿蘇は、西南戦争では薩軍と官軍とが相まみえる戦場ともなっています。二重峠も西南戦争の故地として知られていますが、旧長陽村河陽の高野原一帯も両軍交戦の地です。ここが知られているとすればおそらく、「佐川官兵衛終焉の地」としてでしょう。

熊本地震の前には、慰霊碑・顕彰碑群が立ち並ぶ「西南の役戦跡公園」が高野原にあり、それに隣接して南阿蘇村の高野台住宅が広がっていました。

現在、それらはほとんど残っていません。ホントにもう、あったはずのものがごっそりないのです。

高野台周辺の復旧状況

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現地に通じる道路は通行できましたが、敷地内に足を踏み入れる心の余裕はなく、カメラの向けようを思いつきませんでした。

この場所の状況は話にはある程度聞いていたのですが、高野台団地に人が住み初めのころからの変化を多少は知ってはいるので、そこからの落差を見たショックは、ちょっと表現のしようがありません。

(ここでなお暮らしている方がいるのを知ったのは、帰ってきてからのことでした。)

こちらは、2011年の風景です。ここに写っているものほとんど全てが、今はもうありません。

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この当時から後には、植樹も行われて、よりいっそう緑豊かな光景が広がるようになっていたようです。

ameblo.jp
lagattina.exblog.jp

地震では、高野台で5人の方が亡くなり、戦跡公園の石碑も倒壊して折れるなど、大きな被害を出しています。かつての姿をそのまま取り戻すのは不可能、と言わざるを得ません。

熊本地震阿蘇、爪痕忘れぬ…6カ所の遺構指定検討
毎日新聞2017年5月23日 13時45分(最終更新 5月23日 13時45分)

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住宅が土砂で流された高野台団地=熊本県阿蘇村で2017年4月16日、津村豊和撮影

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断層とみられる亀裂が走る東海大阿蘇キャンパス=熊本県阿蘇村で2016年7月20日、野呂賢治撮影

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阿蘇大橋が崩落した現場=熊本県阿蘇村で2017年4月12日、本社ヘリから上入来尚撮影

 熊本地震で直接死が16人に上るなど大きな被害を受けた熊本県阿蘇村が23日、犠牲者が出た高野台団地や、地割れが起きた東海大阿蘇キャンパス、崩落した阿蘇大橋など地震の爪痕を残す6件の震災遺構指定を、村の震災遺構検討会議に提案した。今後、検討会議で遺構指定に向けた本格的な議論に入る。

 村が地震後に策定した復興計画には「地震被害の教訓を後世に伝え、防災意識の向上や観光への展開につなげるため、被害が甚大な場所を保存することを検討する」と掲げている。保存には熊本県から被災市町村などに拠出される復興基金を活用したい考えだ。

 同村河陽の高野台団地は、村が2000年に整備した分譲地。昨年4月16日の本震で土砂崩れが起き、全16世帯の家屋が全半壊し、住民5人が犠牲となった。犠牲者が出た4世帯を除く12世帯のうち8世帯が現在移転を希望している。遺構指定による公的支援で民有地が買い取られると、住宅ローンなどを抱える住民の生活再建は前進する可能性が高い。

 学生約750人が学んでいた東海大阿蘇キャンパス(同村河陽)では、本震で校舎は傾き、キャンパス内には活断層による地割れが起きるなどして、地震後は閉鎖を余儀なくされた。村は地割れを遺構として保存したいと提案した。

 阿蘇大橋(全長200メートル)は国道325号にかかり、熊本市阿蘇地域を結ぶ国道57号に接続する鉄製のアーチ状の橋。熊本地震の本震で崩落し、今は橋桁だけが残る。新しい阿蘇大橋は別の場所に架け替える予定で、遺構としての保存は可能だが、安全面や技術的な問題など今後検討を進めていく。

 他に震災遺構として提案したのは、阿蘇大橋付近の大規模山腹崩壊▽夜峰山山頂の亀裂▽阿蘇長陽大橋付近の断層露出--の3件。検討会議は国や県、有識者や住民代表ら21人で構成し、月1回程度会合を開いて、計6件の指定を議論する。【杉山恵一、城島勇人】

https://mainichi.jp/articles/20170523/k00/00e/040/204000c

熊本地震 5人犠牲 遺族ら「危険性の説明不十分」 被災の南阿蘇・高野台、防災公園に /熊本
毎日新聞2018年3月8日 地方版

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熊本地震で発生した土砂崩れで押しつぶされた高野台団地=2016年4月17日、梅村直承撮影

 熊本地震で5人が犠牲になった南阿蘇村河陽の高野台団地を村が買い取ることが決まり、村が検討する震災遺構化は前進するものの、団地は2000年に旧長陽村(現南阿蘇村)が整備した分譲地だけに遺族からは「危険性を十分に調べてほしかった」という悲痛な声が今も上がる。【杉山恵一】

 高野台団地に住んでいた長女、牧野富美さん(当時46歳)を失った牧野照子さん(76)=熊本市東区=は「悲惨な事故が起きたことを震災遺構などの記録で残すことができれば娘の弔いになるので、公園化に尽力した関係者に感謝したい」と語った。しかし「娘は村が分譲したから安全だと思って土地を購入した。村は危険性を十分に調べてほしかった」と悔やむ。

 また本震の時は高野台団地に住んでいて、現在は村内の仮設住宅に暮らす高橋俊夫さん(49)は「土地の買い取りに関しては村はよくやってくれたと思う。ただ、団地を購入した時に土砂崩れの危険性を分かっていたかどうかは今も十分に説明されていないので、説明してほしい」と要望した。高橋さんは本震時は土砂崩れによって家族4人が4時間半ほど自宅に閉じ込められ自力で脱出したことを振り返り、「今も地震があると家族はおびえる」と語った。

 一方で、高野台団地の土砂崩れを調査した熊本大学減災型社会システム実践研究教育センターの鳥井真之特任准教授によると、団地のある丘陵は火山による溶岩ドームでできており、溶岩ドームに積み重なった火山灰層の土が震度6強の揺れで崩壊したという。鳥井特任准教授は「高野台団地は地質的には貴重な場所。防災公園と合わせて震災遺構にもなれば、自然の成り立ちと人の暮らしとの関係を考える場所になると思う」と話した。

 高野台団地は本震で全16戸のうち12戸が全壊、4戸が半壊した。村は地滑りによって不安定になった土砂を整備し、県が土砂崩れの対策工事をすることから安全性を確保できるとして防災公園の整備に踏み切る。

https://mainichi.jp/articles/20180308/ddl/k43/040/265000c

戦跡公園や防災公園はともかく、高野台で暮らしていた人々の生活の再建をどうしていくかは、なお現在進行形の課題です。

localmedia3.net
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