ヤノベケンジ「サン・チャイルド」と福島と南茨木

まあ、南茨木駅を通りかかってはじめてこの像を見た時は、訳わからんかったですよ。「なんじゃこれ?」と思いましたし、今も正直あんまり趣味ではないです。

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ただ、そこに込められた意図を後から聞いて納得する部分はありましたし、そこまで嫌悪するほどのものとは思っていませんでした。

2012年3月6日12時3分
未来の空眺めて 復興祈り「サン・チャイルド」像登場

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拡大阪急南茨木駅前に現れた「サン・チャイルド」=大阪府茨木市、水野義則撮影

 巨大な未来の子ども像が大阪府茨木市の阪急南茨木駅前に現れた。東日本大震災原発事故からの復興と再生への願いを託し、現代美術家で京都造形芸術大教授のヤノベケンジさん(46)が製作した「サン・チャイルド」。震災から1年となる11日、除幕式がある。

 高さ6.2メートルの強化プラスチック製。防護服を着た子どもがヘルメットを脱ぎ、放射線を測定する胸のガイガーカウンターはゼロを示している。

 右手に持つのは、ネオンで出来た太陽。「希望のエネルギー」「再生の光」の象徴だ。原子力放射能をテーマに作品を発表しているヤノベさんが、事故が起きたチェルノブイリ原発近くの町を1997年に訪れた際、廃虚となった保育園の壁に描かれていた太陽の絵をモチーフにした。

 ヤノベさんは震災後、「今こそ芸術がやるべきことがある」と考え、学生17人と3体のサン・チャイルドを製作した。ヤノベさんの出身地の茨木市のほか、1体は4月以降に第五福竜丸展示館(東京都江東区)に、もう1体はロシア・モスクワの美術館に14日から展示される予定だ。

 ヤノベさんは「来るべき未来を想像できるようなものを作るのが芸術家の役割。今、日本は大きく傷つき、サン・チャイルドも顔にばんそうこうを貼っているけど、たくましく立ち、未来の空を眺めています」と話す。(石田貴子)

http://www.asahi.com/special/10005/OSK201203060011.html

なので、福島でこういうことになってしまったのはやや残念な話です。作者はもちろん、関係者各位には不本意なところもあるでしょう。

実際、南茨木駅のほうでは、最初あった違和感も徐々に薄れてきて、最近ではいちいち気に留めることもなくなっていたのです。でも、福島でこういうことがあったとなれば、その「風評被害」で南茨木の像まで撤去、なんてのはどうも面白くない話になりますね。

「JR福島駅近くからは撤去されても、阪急南茨木駅近くではなお健在」という状況を敢えて堅持したほうが、社会的にまだ健全な気がします。

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3月11日、ヤノベケンジのサン・チャイルドが大阪に立つ。 - 十三のいま昔を歩こう
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ネット空間も飾った防護服アート 撤去に「分断疲れた」
丸山ひかり、森本未紀、大西若人 2018年9月9日23時33分

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撤去が決まった「サン・チャイルド」。続々と見に来る人がいた=1日午後、福島市の「市子どもの夢を育む施設こむこむ館」前

 原子力災害の記憶の継承などを願って福島市の施設に置かれた現代アートに、「防護服姿は風評被害につながる」といった批判が寄せられ、撤去されることになった。放射線をめぐる地元の苦悩が浮き彫りになる一方、メッセージ性のあるパブリックアートのあり方を改めて考えさせる事態になっている。

 JR福島駅にほど近い市の施設のひさしの下に、高さ6・2メートルの子ども像「サン・チャイルド」は立っている。施設は子どものためのもので、図書館やプラネタリウムが入る。

 作品は、現代美術家で京都造形芸術大教授のヤノベケンジさん(52)が、東京電力福島第一原発事故を受けて2011年に手がけたもの。黄色い放射線防護服を着ているものの、ヘルメットは脱いでいる。顔に傷やあざのようなものが見える一方、大きな目を輝かせ、胸のガイガーカウンターは「000」。「事故による放射線の心配のない世界を迎えた未来」を表現したという。像の前では「事故があったことを残してもいい」(76歳男性)、「防護服が必要な環境だったと思われる懸念はわかる」(32歳男性)といった声が聞かれた。設置した福島市の木幡浩市長は「未来に向かう市のスタンスと合致する作品だと思った」と話す。

 しかし、8月3日の公開後、防護服姿が生む風評被害を心配する声や、自然界でもカウンターの値は0にはならないといった指摘が市に寄せられ、ソーシャルメディアでも続いた。市が施設で自由記述式のアンケートをすると、撤去・移設を求める声が約7割に。一方、「可愛い」「芸術作品として見るべきだ」といった賛成意見もあった。

 市長は賛否が分かれる作品を「復興の象徴」として置き続けるのは困難と判断。8月28日に撤去を表明した。ヤノベさんも苦しむ人がいるならと同意し、朝日新聞の取材には「敵対のためではなく、もっと大きな人類共通の課題を克服する作品になるよう目指していた。撤去を早々に判断したのも、対立や分断が広がることを憂慮したため」と回答した。

 福島県在住のライター林智裕さん(39)は、反発を生んだ背景に、放射性物質による被害を誇張する言説に苦しんできた福島の人々の怒りがあると指摘。福島市で子育てをしながら放射線量を測り、知識を普及する活動をしてきた佐原真紀さん(46)は、「賛成、反対どちらの気持ちも分かる」と話し、こう続けた。「放射能をめぐる分断に、この7年間みんな疲れています」

 今回の問題は、公共空間に置かれるアートについても考えさせることになった。

 一般にパブリックアートは、街の美観や日常的な芸術体験につながったり、共同体の核になったりといった意義が指摘される。だが、池田ともゆき・武蔵野美術大教授は、「公共の場所に突然現れる巨大なモニュメントは、見る人の感覚によって暴力に映る」と指摘。渡辺晃一・福島大教授は「アートは社会的問題を提起するので、環境のデザインとは異なる」と話す。

 サン・チャイルドは、再生可能エネルギーの推進を支援する団体から市が寄贈を受け、7月初旬に設置を発表した。ヤノベさんは「合意形成の期間があまりに短すぎたのが最大の問題」。木幡市長も「いきなり恒久展示ではなく、展示してみて市民の反応を探るのがよかったのかもしれない」と話す。

 同じ作品は12年、福島空港のロビーに展示された際は好評で、評価は展示の場所や時期によっても変わってくる。ヤノベさんは「(放射線の恐怖感や風評被害といった)嫌な記憶だけを思い出す方がいることの現状を、もっと市民の皆様と意見交換し調査しておくべきでした」と述べた。

 また今回、著名人が意見を投稿するなどしてインターネット上で賛否が膨らんでいった。建築の専門家で公共空間に詳しい五十嵐太郎・東北大教授は「ソーシャルメディアでは、極端な意見が交わされやすく、議論はなかなか難しい」。ヤノベさんが「ネットもまた公共空間の一部。受け止めていくしかない」と述べるように、現代のパブリックアートは現実とネット上の二つの空間に置かれているといえる。(丸山ひかり、森本未紀、大西若人)

今までも様々な場所で展示されてきた「サン・チャイルド」。作者のヤノベケンジさんに作品に込めた思いを聞きました。後半に続きます。

作者ヤノベケンジさんが込めた思い

 福島市の施設に設置された現代アート「サン・チャイルド」の撤去が決まった問題で、作者のヤノベケンジさん(52)が、朝日新聞の取材にメールで答えた。主な内容は以下の通り。

     ◇

 ――「サン・チャイルド」に反発や不快感を覚える人がいるかもしれない、ということはあらかじめ予想していましたか。

 2011年に制作した作品であり、危機的な状況とその克服という二つの要素が入っています。その中で、危機的な状況を表す「防護服」や「カウンター」が、その克服である「ヘルメットを脱いでいる」ことや「ゼロの表記」があったとしても、(見た人が)不快感を覚える可能性はあるとは思っていました。

 ただし、7年の間に様々なところで展示をしてきて、そのような反応がなかったこと、福島市が主導されているので、設置の場所や時期、広報次第と思っていました。とはいえ、少し懸念もしておりましたので、他の地域に設置する方が良いのではと提案したり、平穏な日常を迎えた「サン・シスター」を同時に展示することも提案していたのも事実です。実際、12年以降は、「サン・シスター」「フローラ」「シップス・キャット」など震災や原発事故を想起させる作品ではなく、もっとポジティブなイメージが伝わる作品を展示してきました。

 また、胸のカウンターは、原子力災害がゼロになった象徴的意味を込めていましたので、ベクレルやシーベルトのような単位として捉えられ、非科学的と指摘されるとは思っていませんでした。この辺は、線量計が一般的になった現在の福島市の皆様に誤解を与えることになったと思います。

 ――これまで、「サン・チャイルド」をめぐって、問題が起きたことはありますか。12年の福島現代美術ビエンナーレで福島空港(玉川村)に置かれた時には、いかがでしたか。

 この時は、特段問題はありませんでしたし、福島現代美術ビエンナーレの会期が終了後も、延長されて展示されました。ただし、この時はかなり抵抗感があると思い、運搬費が事務局になかったこともあり、クラウド・ファンディングで支援者を募りながら慎重に進めました。

 ――もともと、福島市の公共的な場に「サン・チャイルド」を置くことの意味や意義を、どのように考えておられましたか。

 すでに東日本大震災から7年経ち、福島県外ではあまり話題にならなくなったり、震災後に生まれた子どもも多くなっているので、11年に制作をした危機の克服の像が、受け入れられるとすれば、前向きに記憶を引き継ぐ機会になるのではないかと思いました。

もっと意見交換しておくべきだった

 ――声明文では「展示する場所、時期、方法などによって受けとられ方は変わりますので細心の注意を払うべきでした」と記されていますが、具体的には、「場所」「時期」「方法」について、どう考えればよかったと思っていますか。

 パブリックアートについては、地元の団体や住民との意見交換を行いながら内容や場所を調整するので、その告知や合意形成の期間があまりに短すぎたというのが最大の問題だと思っています。合意形成を図る中で、場所、時期、方法は変わってくると思います。

 今回は特に、設置場所を想定して作ったのではない7年前の作品であり、7年間で作品がある程度知られるようになったかもしれませんが、逆に市民の皆様にとっては過度な放射線の恐怖感と、風評被害の記憶が積み重なった期間でもありました。

 ですから、7年前のままの姿を提示したら、前向きな気持ちよりも、嫌な記憶だけを思い出す方がいることの現状をもっと市民の皆様と意見交換し調査しておくべきでした。

 それを把握できていれば、展示までにもっと時間をかけるか、場所を変えるか、コンセプトを維持しつつ作品を新しく作り直したと思います。

 ――今回の福島市および市長の対応をどのように感じておられますか。

 早急に進めすぎたことは否めません。パブリックアートや芸術祭は首長の決断に左右されるので、決断が早いことは悪いことではありませんが、センシティブなテーマだけにもっと市民の皆様の意見を事前にヒアリングしておくべきだったと思います。

 ――今回、(インターネット上で賛否が広がり)ネット時代、SNS時代特有の動きもあったかと思います。この点、どのように受け止めておられますか。

 市民と市民外の人々がないまぜになってネット上で抗議を始め、マスコミに伝播(でんぱ)し、さらに市民の皆様がそれを知っていくという回転が続き、率直なところ対応が難しかったです。私自身が福島市に住んでおらず、地理的に遠いことからも、関係者以外の市民の皆様の生の声を聞く機会が少なく、騒動後に対話の機会をすぐに作れなかったのは悔やまれます。

 しかしながら、それも事前に十分な合意形成ができていれば問題はないでしょうし、ネットもまた公共空間の一部ではありますので、パブリックアートである以上は、そのようなネットへの広がりも含めて受け止めていくしかないと思っています。

 ――「サン・チャイルド」は、ヤノベさんの作品のなかでも、「かわいらしい」表現だと思いますが、「ゆるキャラ」のような存在とは異なると思います。どのあたりが違うと思いますか。

 「ゆるキャラ」は、社会的なメッセージを入れるような存在ではないと思います。私はキャラクターを使っていますが、そこにメッセージが込められており、「サン・チャイルド」は、「かわいい」と捉える人もいますが、「不気味」と捉える人もいます。強いメッセージ性は両刃の剣ですので、「ゆるキャラ」は入れないと思いますし、その違いは大きいと考えています。

 ――今後、どのような形で市民の方々と対話を進めていくご意向でしょうか。

 対話の仕方はなかなか難しく検討中ですが、まずは福島ビエンナーレの期間に、できるだけ幅広い市民の皆様の意見を聞く機会を持ちたいと思っています。

 一部の方に「サン・チャイルド」が、反原発かつ自然エネルギー推進のモニュメントと思われている方がおられるようなので、一言申し上げますと、廃炉作業は何十年とかかりますし、放射性廃棄物は何世代にもわたる管理が必要です。今後も何万人、何十万人もの作業員が必要になってくるでしょうから、その人々に対する敬意は絶対に必要でありますし、彼らも応援するようなモニュメントではないといけないと思っています。

 敵対のためではなく、もっと大きな人類共通の課題を克服する作品になるよう目指していたのは確かです。今回、撤去を早々に判断したのも、対立や分断が広がることを憂慮したためでした。

 ですから、対立している点を軸に話し合うのではなく、できるだけ共通した課題を見つけて話し合えればと願っています。(聞き手・大西若人)

https://digital.asahi.com/articles/ASL9440ZWL94ULZU008.html

福島の防護服着た像、解体始まる 撤去費用は190万円
古源盛一、小手川太朗 2018年9月19日06時51分

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「サン・チャイルド」の周りには、約6メートルの足場が組まれた=2018年9月18日午後3時7分、福島市早稲町、小手川太朗撮影

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撤去作業が始まった「サン・チャイルド」=2018年9月18日午後3時6分、福島市早稲町、小手川太朗撮影

 福島市が設置し、市民らから批判を受けた子どもの像「サン・チャイルド」の撤去作業が18日、始まった。設置場所の「市子どもの夢を育む施設こむこむ館」(同市早稲町)でこの日、台座の一部が解体された。午後3時すぎには、像の高さ(約6・2メートル)に迫る約6メートルの足場が組まれ、道行く人たちが足を止めて写真に収めていた。

 同館によると、像の周囲を布で覆い、20日までに解体、市有施設に運び込むという。撤去費用に190万円かかる見込み。(古源盛一、小手川太朗)

https://www.asahi.com/articles/ASL9L51F0L9LUGTB00B.html