こちらの続きになります。
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セウォル号追慕館の正面に伸びる道を歩くとすぐにある分岐。直進は見たこともない風景で、左は既視感のある様子。
まずはとりあえず左へ。
旧来の土葬墓域は、秋夕より1か月近く前なこともあって、伐草作業はまだやってない感じの佇まいでした。
その先に見えてくるのが、分岐の看板に書いてあった「階段式家族墓域」。急斜面を造成して巨大な共同墓域にしています。
この両者、仁川施設公団が言うところの「非造成墓地」と「造成墓地」の典型だと言っていいでしょう。
仁川家族公園の広大な墓域はこの先にも広がっているのですが、蒸し暑く今にも雨が降りそうな気候のもとで、これ以上進む気にも階段式墓域の石段を上がる気にもなれなかったので、先ほどの分岐点に戻ります。
この道、改装前はこんな立派な歩道付きの2車線道路ではありませんでした。
このあたりはもともと、旧来の土葬墓が広がっていた場所で、前回来た時にはそれが撤去されて禿山化していたところです。
そうこれこれ、これですね。
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それが、こうです。棚田のように平坦な埋葬地を作り、芝生葬もしくは草花葬の用地に充てると見えます。
他方、道路の山側にはこんな感じで奉安堂(納骨堂)が延々と伸びています。屋外型ですが、納骨壇の前の祭祀スペース(歩道兼用)に庇が張り出していて、雨露はいちおうしのげるようになっています。
そのすぐ下の遊歩道エリアにも奉安堂が設置されていますが、こちらは屋根なしですね。
仁川家族公園にある旧来の土葬墓域の中でも、このエリアがまず重点的に改装されたのは、おそらく「より中心部にある非造成墓地」だったから、ということで説明がつきます。将来的にはどうなるか不透明ですが、造成され、秩序だった家族墓が並んだ隣接エリアは、現段階では手付かずです。
ちなみに、納骨壇の背後の斜面には、かつてこの一帯に広がっていたはずの非造成墓地の「生き残り」を、まだ見ることができます。そうした非造成墓地はまた、この裏山に広がる樹木葬地とも接しています。次の段階では、このへんの「整備」があっても驚きません。
さて、かくして、火葬場や葬礼式場まであと少しのところまできて、「以前そこにあったはずのものがない」ことに気づきました。それも三つ一気に。
比較対象はこちらの記事です。
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そのうちの二つ、「無縁故合同墓」と「合同墳墓」は、一か所にまとめられて山側に移動していました。「幽宅の丘」がある限り、そこに葬られる遺灰を引き受ける合葬墓は(どのような形であれ)必ず必要となります。なので、これはこれで再整備事業として納得できます。
問題は残る一つなのですが、これについては次の機会に。