さて、今回の南海追慕ヌリ定点観察は前回で一区切り。あとは余話です。
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最近はだいたい、往路は南海邑のバスターミナルからタクシーを利用し、帰りは自動車道路とは別の脇道を使って徒歩で南海邑まで戻っているのですが。
昨年も記事にした場外の家族墓は、追慕ヌリからその道に入る、そのすぐ脇に並んでいます。
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ここ、陽当たりの加減や墓前のスペースの関係で、全体の様子がいつもなかなかうまく写真に収められないのですが、今回ちょっと意識して頑張ってみました。もっとも、それでも見ての通りで、いろいろ限界はあります。
手前に納骨墓が1区画、その奥に平葬墓が6区画並んでいます。この形式の違いは明らかに時代差を示しています。追慕ヌリ内でも見られる石造納骨墓は火葬が普及した初期、南海郡だと2000年代半ば以前にしばしば造られたものです。火葬遺灰を土中に直埋めして地上に石板を置く納骨平葬墓の形式は、その後に普及したものです。
なので、このさらに先を下りて行った先にあるこちらも、造られて十数年、せいぜい20年といったところだと推測ができます。傍らに置かれている墓碑群がバラエティに富んでいるのは、各所に散らばっていて時代も様々だった一族のお墓をここに集約した名残だと思われます。
ああ、こういう寄り道をしていると、どんどんお昼を過ぎてしまいます。非常食で飢えをしのぎながら南海邑に戻って、いつものロッテリアに行くとしましょう。