大阪大空襲から76年目にして初めての朝鮮半島出身の犠牲者追悼集会

これ、そうだったんですね。東京のことをどうこう言える状況ではなかったですよ。

朝鮮出身の大阪空襲犠牲者を初追悼 13日に市民団体
武田肇 2021年3月3日 9時30分

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朝鮮半島出身の大阪大空襲犠牲者を追悼する集会について説明する実行委員会のメンバー=2021年3月2日、大阪市中央区大阪府庁、武田肇撮影

 第2次世界大戦中の大阪大空襲で犠牲になった朝鮮半島出身の人たちを追悼する初の集会が、最初の大空襲から76年の13日、大阪市北区天神橋3丁目のPLP会館で開かれる。市民団体が当初は1年前に開く予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期されていた。

 主催の大阪空襲75年朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員会が2日、大阪府庁で記者会見した。会場で感染対策を講じ、ライブ配信もすることで開催できると判断した。集会では、実行委の調査で確認できた犠牲者159人の名簿を祭壇に置き、無宗教方式で祈りを捧げる。

 終戦直後の旧陸海軍関係文書「内地在住朝鮮人戦災者概数」によると、府内の戦災者のうち朝鮮半島出身の人が8・19%を占める。ただ、実行委が調査するまでほとんど詳細は不明だった。東京大空襲をめぐっては毎年、市民団体が朝鮮人犠牲者の追悼会を開いている。

 実行委は、朝鮮半島などの空襲犠牲者を戦時中まで強いられた日本名(通名)ではなく民族名(本名)で記録する取り組みも進めてきた。集会では「創氏改名」(岩波新書)の著作がある水野直樹・京都大名誉教授が「本名で追悼すること」と題して講演する。

 調査には在日コリアンの団体も協力した。呼びかけ人の一人で元高校教員の横山篤夫さんは「76年経ってしまったが、歴史の空白を多くの人の協力で埋めることができるのは意義深い」と語った。

 集会は午後2時半からで参加費1千円。ライブ配信の視聴は前日までにメール(hwongi19@gmail.com)で要申し込み。問い合わせは空野佳弘法律事務所(06・6361・5488)(武田肇

https://www.asahi.com/articles/ASP326QP1P32PTIL00Z.html

朝鮮出身の犠牲者、初の追悼集会 大阪大空襲から76年
武田肇 2021年3月13日 21時07分

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大阪大空襲から76年を迎え、朝鮮半島出身の空襲犠牲者に向けて献花する金禎文さんら遺族=2021年3月13日午後2時45分、大阪市北区、金居達朗撮影

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大阪大空襲から76年を迎え、朝鮮半島出身の空襲犠牲者に向けて献花する金禎文さん=2021年3月13日午後2時45分、大阪市北区、金居達朗撮影

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大阪大空襲から76年を迎え、黙禱(もくとう)する金禎文さん(手前中央)ら追悼集会に集まった人たち=2021年3月13日午後2時46分、大阪市北区、金居達朗撮影

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大阪大空襲から76年を迎え、追悼集会で黙禱(もくとう)する人たち=2021年3月13日午後2時46分、大阪市北区、金居達朗撮影

 第2次世界大戦中の大阪大空襲で犠牲になった朝鮮半島出身の人たちを追悼する初の集会が、最初の大空襲(1945年3月13~14日)から76年の13日、大阪市北区で開かれた。1万5千人とされる大空襲の犠牲者のうち、何人が朝鮮人だったか実態は今も明らかではない。「歴史の空白」を埋めようと日本人の研究者と在日コリアンの有志が連携して取り組んだ。

 大阪空襲75年朝鮮人犠牲者追悼集会実行委員会が主催した。犠牲者の氏名を記した名簿を祭壇に置き、参加者約150人が黙禱(もくとう)をささげた。在日3世の大学生、李葎理(リリュルリ)さん(21)が「再びつらい思いをする人がない世の中に」とする追悼文を朗読した。

 敗戦まで日本が朝鮮半島を統治したことを背景に、1942年の大阪府警察統計書によると、大阪には約41万人の朝鮮人が暮らしていた。ところが、「大阪大空襲の体験を語る会」が集めた体験記約450編には朝鮮人の手記は一本もなく、追悼式も開かれてこなかった。大阪空襲被災者運動資料研究会代表で元高校教員の横山篤夫さん(79)が約2年前、調査と追悼を呼びかけた。

 しかし、立ちはだかったのが名前の壁だった。大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)には、空襲で亡くなった9117人の名簿があるが、民族名(本名)で記されていたのは十数人。敗戦まで強いられた創氏改名や、日本社会で差別を避けるため、本名を名乗れない状況もあり、多くが名簿に日本名で記されていた。専門家の分析や文献との照合で、159人を朝鮮半島出身と特定した。うち2人は戦時中の労務動員で大阪に来た人だった。

 13日の集会では、調査に協力した京都大の水野直樹名誉教授(朝鮮近代史)が講演し、「植民地支配の過ちを記憶するためにも、後世に残す空襲死没者名簿は、生まれ持った名前で記されるのが望ましい」と話した。

 集会に参加した徐龍達(ソヨンダル)・桃山学院大名誉教授(87)は「76年前、炎の街を逃げまどい、黒い雨に打たれた恐怖が今も忘れられない。伝えることが戦争をしない力になれば」と話していた。(武田肇

https://www.asahi.com/articles/ASP3F6S6GP3DPTIL00X.html