ガンバ大阪、アジア制覇!!!

アウェー全勝で締めくくったACL制覇は素直に嬉しい。
CWCでの健闘を祈る。



G大阪、アデレード破り悲願のアジア制覇!/ACL
 アジア・チャンピオンズリーグ決勝第2戦(12日、豪州・アデレードガンバ大阪アデレード・ユナイテッド(豪州)が対戦し2−0(2試合合計5−0)でガンバ大阪がアウエーで快勝し、クラブ史上初のアジア制覇を達成した。昨年度の浦和レッズに続き日本勢の連覇となった。

 ホームでの第1戦に先勝したG大阪は前半4分、MF佐々木のミドルシュートを相手GKブリギッティが弾いたところをFWルーカスが左足で押し込み先制。同14分にはMF二川のスルーパスから抜け出したルーカスが貴重な2点目を決め、前半を2−0とリードし折り返した。後半は数度ピンチの場面を作ったが、終始試合を有利に進め無失点で抑えた。

 G大阪は12月に日本で開催されるクラブワールドカップ(W杯)にアジア代表として初出場。12月14日の準々決勝(豊田スタジアム)でオセアニア代表のワイタケレニュージーランド)とアデレードの勝者と対戦する。

★勝負を決める2得点

 前半の序盤で勝負は決まった。G大阪のルーカスが2ゴールを決め、奇跡を信じて集まったアデレード・サポーターの大歓声を静まり返らせた。

 前半4分、相手のクリアを拾った佐々木のシュートをGKがはじくと、こぼれ球に真っ先に反応して左足でけり込んだ。その11分後には二川の縦パスを受け、スピードに乗ったまま右足の外側で巧みにゴールネットを揺らした。

 ワントップで先発し、後半途中で山崎が入ると2トップ。さらに終盤に播戸が出場すると、中盤に下がった。三つのポジションを器用にこなした。試合中は日本語でコミュニケーションがとれるため、どんな役割も忠実に果たしている。

 今季ACLの1次リーグ初戦で、敗色濃厚な後半ロスタイムの同点ゴールでチームを救ったのも、この背番号9だった。シドニー五輪に出場し、ブラジルやフランスのビッグクラブに在籍したこともある。それでも「自分のキャリアで一番大きな試合」と並々ならぬ意気込みで臨んだ大舞台で存在感は際立った。(共同)

G大阪・西野朗監督

「うれしいのひと言。前半で勝負を決めてしまおうと思っていて、選手がそれを実践してくれた。こういう結果に終わるとは、はっきり言って想像していなかった。非常に満足している」

アデレード・ビドマー監督

「ガンバはわれわれより数段も強かった。この決勝で学ぶべき点は多かった。決勝の雰囲気を味わえただけでもよかった。後半はプライドを持って戦ってくれた」

ガンバ大阪
 80年に松下電器産業サッカー部として創部。90年度に天皇杯全日本選手権を制覇。Jリーグには関西から唯一、創設時から加盟している。05年のリーグ初制覇までタイトルと無縁だったが、07年にはナビスコ杯で優勝。近年は各大会でタイトルを争う強豪になった。チーム名はイタリア語で「脚」を意味し、日本語の「頑張る」の響きにも通じる。チームカラーは青と黒。

http://www.sanspo.com/soccer/news/081112/sca0811121954005-n1.htm
http://www.sanspo.com/soccer/news/081112/sca0811121954005-n2.htm

G大阪、国際大会への意識変わり綿密さが奏功
 G大阪が初めてACLに出場した2006年は、1次リーグであっさりと敗退した。それから2年がたち、国際大会に対するクラブと選手の意識は大きく変わった。

 山口は「ピッチ外でのトラブルがなく、2年前と比べてストレスは少なかった」と言う。例えば準々決勝の場所が中東のシリアに決まると、クラブは試合の2カ月も前から綿密な調査を行った。「水道水では歯も磨くな」などといった細かいことまで徹底した。

 オーストラリア、タイ、シリアには、西野監督の要望で試合の2日前までに現地入りし、準備に万全を期した。ホームになると積極的に攻める外国勢の戦い方も、守備的な相手を苦手とするG大阪にとって好都合だった。前回は敵地では1勝2敗に終わったが、今回は6戦全勝で計17得点を奪った。

 昨年はライバルの浦和が優勝し、クラブW杯に出場したことも選手のモチベーションを高めた。播戸は「2年前は何となくいけるやろ、という感じで入って勝てなかった。でも去年浦和が優勝したのを見て、おれらもやれるという思いが強くなった」。この大会に懸けるクラブ全体の思いが、優勝という最高の形で結実した。

http://www.sanspo.com/soccer/news/081112/sca0811122156007-n1.htm

西野監督、ポリシー曲げない芯の強さで栄冠!
 守備重視の戦術が批判されたアトランタ五輪から12年。G大阪の西野朗監督(53)は最後まで攻撃サッカーを貫き通し、日本人監督として初めてACLの頂点に立った。

 昨年はライバルの浦和が圧倒的な守備力を武器に優勝。以来、「日本にも違うスタイルのチームがあるというのを、アジアに示さないといけない」と対抗心をむき出しにしてきた。

 アトランタ五輪代表を率いてブラジルを倒した「マイアミの奇跡」で、監督としての手腕が注目された。だが、日本サッカー協会からは「勝ったのに、すごく消極的なサッカーだったという評価をもらった」。この時芽生えた反骨心が、攻撃的な指揮を支えている。

 「違うスタイルはあり得ないし、できない」と言い切る。Jリーグ1部の監督で日本人最年長となったが、182センチ、74キロの体形は現役時代と変わらない。そんなスマートな風ぼうの裏には、自らのポリシーを曲げない芯の強さがあった。

http://www.sanspo.com/soccer/news/081112/sca0811122157008-n1.htm