何でもかんでも聖域化せんでも

今日行ったところについては、まず予習から。
ちょうどいいネタがあった。今年1月5日の『ハンギョレ新聞』からの引用である。この新聞社のサイトに日本語版はないのだが、ハンギョレ新聞日本語サイトを創る会という、自主的に記事を翻訳しているブログがある。

墓の中 苦々しさ…白凡‘受難時代’

政権・利害団体 足払いに記念事業など‘険しい道’
10万ウォン札発行延期…‘臨時政府の法統性’も無視

これほどになれば屈辱だ。解放前、臨時政府を指導した白凡金九関連中央・地方政府事業が続々と霧散したり支障をきたしている。はなはだしきは彼が主席を務めた臨時政府の正統性まで否定しようとする動きが現れている。異郷万里で祖国独立のためにイバラの道を歩いたが祖国に帰ってきて同胞の凶弾に倒れた白凡の受難は続いている。

#1.京橋荘復元、遅遅として進まず

解放後、臨時政府会議室,白凡の執務室と宿舎として使われた京橋荘(ソウル市,鍾路区,平洞108-1番地・史跡465号)の復元事業は何の進展もない。ソウル市は昨年4月「他の朴正熙,崔圭夏などの私邸とともに京橋荘を復元する」と意欲的に発表したが、8ヶ月が過ぎた今も手もつけられずにいる。ここの使用を巡る複雑な利害関係を考慮せずに発表を前面に出したためだ。

地下1階,地上2階,建坪1119.20㎡規模の京橋荘は現在三星生命の所有で江北三星病院が使っている。現在地下1階には薬局が,1階には院務課と薬剤チーム,急病患者保護者控室が入っている。2階は手術物品保管室に使われているが、白凡が安斗煕の銃弾に当たって亡くなった場所である広さ80㎡の執務室のみが2005年記念室として復元された。ここには白凡胸像と安斗煕の足跡,臨時政府関連資料などが展示されている。

ソウル市は京橋荘を原形どおりに復元し記念館として活用するという計画だが、病院側は難色を示している。キム・ミョンス江北三星病院広報チーム長は「京橋荘を復元すれば現在機能を移転するべきだが、現在は適当な空間がない」と話した。キム・スジョン ソウル市文化局学芸研究士は「京橋荘は李承晩・崔圭夏前大統領旧邸と異なり遺族が相続を受けておらず事情が複雑だ」として「病院に容積率・建ぺい率などを緩和する方法で京橋荘復元を誘導する」と語った。

#2.墓地聖域化は霧散

白凡と臨時政府要人の墓所があるソウル,龍山区,孝昌公園の聖域化事業は霧散した。去る2005年国家報勲処,文化観光部,ソウル市など16ヶ機関・団体が‘政府支援タスクフォース’を構成し、孝昌運動場と孝昌公園を合わせた17余万㎡を2008年までに‘孝昌独立公園’として新しく造る計画だった。予算も260億ウォン余りもつけられた。

しかし孝昌運動場を使うサッカー界などの反対にぶつかった。この事業はその後継続漂流して現在は事実上水泡に帰した。予算も‘不用’処理された。ユン・ヒョンジュン国家報勲処事務官は「社会環境が変化しない限り、事業を再び推進するのは難しい」と明らかにした。

#3. 10万ウォン札発行延期

10万ウォン新紙幣に白凡の肖像を入れようとしていた計画も取り消しになった。盧武鉉政府の2007年11月、韓国銀行は種々手順を踏んで2009年に発行される10万ウォン札の人物として白凡を選定した。しかし昨年12月31日、韓国銀行は物価上昇と効率低下などの理由で5万ウォン札のみ発行して10万ウォン紙幣発行を無期限留保すると明らかにした。韓国銀行の説明とは異なり、イ・ミョンバク政府スタート以後、保守権力層の白凡に対する拒否感が主要理由という分析が出てきている。

#4.‘臨時政府の法統性’を無視した教科書配布

はなはだしきは白凡が主席を務めた大韓民国臨時政府の正統性まで否定されている。政府は先月あるニューライト団体に作成を依頼し、全国の中・高等学校・大学・軍部隊に配布した冊子で“臨時政府は国際的承認に土台を置いた独立国家を代表するものではなかった”と記録した。

ハン・シジュン檀国大教授(歴史学)は「李承晩政権時は白凡の墓地がある孝昌院一帯をブルドーザーで押しつぶし孝昌運動場を作り、当時キム・チャンスク先生などが強く反発した」として「独立闘争と統一の象徴人物である白凡に対する反民族・反統一勢力の毀損行為は続いている」と語った。

http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/373112.html
(原文は、http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/331303.html

さすが翻訳記事に選定されるだけあって、『ハンギョレ新聞』の面目躍如たる論調だと言えよう。
それはそれとして、今日は上の記事にある孝昌公園に行ったのである。アクセスは正面から行くなら地下鉄6号線の孝昌公園前駅が最寄りであるが、地下鉄4号線の淑大入口駅で降りて、淑明女子大学校の白亜のキャンパスを両側に見つつ行ってみてもよい。
正面からだとこんな感じ。

淑明女子大側からだとまず右手に元曉大師の銅像が見える。

さて、孝昌公園の墓域は、大きく分けて3ヶ所になる。
まずは、李奉昌尹奉吉・白貞基が埋葬された「三義士の墓」。



次に、大韓民国臨時政府の要人である者成煥・李東寧・車利錫が埋葬された「臨政要人の墓」。



そしてこの墓域の中心的存在と言えば、言わずと知れた白凡・金九の墓である。



この堂々たる墓域は、ソウル顕忠院の李承晩・朴正熙のそれに勝るとも劣らない。
しかも、その傍らには、これも個人記念館としては実に立派な、백범기념관(白凡記念館)が立っている。今日はあいにく休館日であったが。



個人の記念館としてはなかなか見ないほどの立派な建物である。正直、韓国サッカー界にとって貴重な都心の競技場であり、これはこれで貴重な韓国サッカーの歴史を刻みこんできた孝昌運動場を追い出してまで、これ以上の聖域化事業を推進しなければならないものなのだろうか。


物議を醸す例えであることを承知で敢えて言えば、韓国現代史における金九は、日本近代史における西郷隆盛の位置にある。歴史のメインストリームからは外れていった西郷は、靖国神社の祭神ではなく、南洲神社という独自の価値体系の主として人々の敬愛を集めている。
例えばそのように、純粋な民営化ではないにしても、ある程度は国立聖域体系の外に立つ。それはそれでまた、あり得るのではないだろうか。