自信ということ

文字通り「自らを信じる」ということであるなら、それはつまるところ事実の問題ではなく、信仰の問題ではないか。
そう考えてみれば、根拠不明にやたらと自信満々な人がいるのも何だかわかるような気がする。近代に生きているからこそ奇異に見えるだけであって、あれはあれであり得るカタチなわけだ。
ということを逆から言えば、「自信がない」のは近代的には人として「正しい」あり方だということになる。「自信満々な近代人」というのは、それ自体が矛盾を孕んでいるようで、それはそれで面白い存在なのだろう。
余計なことを付け足せば、いまや希少種かも知れぬが、「自信満々に主張するポストモダニスト」というのも、ポストかプレかはともかくとして、モダンらしからぬ存在であったのかも知れぬ*1
そして、こう書きながら、私は私の書いていることに自信のかけらもありません。すいませんすいませんすいません私のような者がこんなことを書いてしまい…。

*1:もちろん、「自信満々なモダニスト」という手合いもいて、実はそっちのほうがねじれに対する無自覚ぶりが興味深いのである。