そして全泰壱に会う

その後たどり着いたのがここである。

長らくそこにあった競技場がなくなってしまった眺めは、やはり寂しい。前々からファッション系のビルテナント供給過剰の状態が続いていると思われるこの東大門で、その再開発は果たしてコストに見合うのだろうか…。
それはさておき、ここから清渓川沿いをしばらく歩くと、程なくこの橋に差し掛かる。

橋中央の像に刻まれた人物こそ、その背後に今もある平和市場の労働者として1970年に抗議の焼身自殺を遂げた전태일(全泰壱)である。その死が多くの人々に影響を与えたこの人物については、以前に南揚州・牡丹公園の墓地を訪れたことがある(ここ参照)。
この橋を通りかかったときには、足元にも少し注意してみるとよい。




清渓川のこの界隈がこのような形になるまでにはいろいろあったらしいことは、再開発当時の市長が李明博であったことからも容易に推測できる。下記の「OhmyNews오마이뉴스」の記事が、そうした経緯の一端を伺わせるものとなっている。OhmyNews自身も、この「全泰壱通り」化推進の当事者となっているらしい。
아, 전태일 거리! 가슴이 벅차오른다

全泰壱。この人物のこのような記念のされ方は、愛国志士とも4.19ともまた東義大事件とも、異なった様相を見せている。