ソウル顕忠院と東義大事件

何度か言及してきた東義大事件なのだが(さしあたりはここ参照)、あの事件、釜山で起きたからこそ、ああいう形で揉めるのではないかと思ったりもする(この件についてはこちらを)。
あれがもし、光州の朝鮮大学校や湖南大学校で起きていたとしたら、おそらくこのような展開にはなっていないのではないか*1
というのも。
ソウル顕忠院の一隅で撮った一枚。

これだけではわかりにくいので、アップのショットを。



それぞれ、1980年5月22日から27日にかけての時期に、「光州にて戦死」とある。
光州で戦死…?1980年に、韓国軍は戦争をしてたのか…?*2
東義大事件をめぐる議論を聞くにつけ、どうしても私が納得できないのは、こうした「戦死者」のことが頭から離れないからである。
そんなことで死者の名誉が回復されるのであれば、そうやって彼らの名誉も回復させてみてくださいな。できるものなら。
で、仮にそれができたとして、それはそもそも名誉の回復なのか?
私にはどうしても、そこがわからないのである。

光州の五月

光州の五月

*1:歴史のif云々をここで議論するつもりはない。ただの妄想だと受け取ってもらえれば、それでよい。

*2:差し障りがあるかも知れないので表面のショットは掲げないが、安葬者はいずれも陸軍将校である。