【KANOごっこ】嘉義の地に立つ「ZENRIN」

この日、嘉義市立棒球場で行なわれていたのは、台湾と韓国の高校・大学交流戦でした。私が訪れた時には、台湾の平鎮高と韓国の城南高との試合が最終回を迎えていました。



この大会に韓国から参加したのは、徽文高・善隣高・江陵高・城南高・慶熙大・延世大の6校、台湾側の参加チームは穀保家商・平鎮高・嘉義高・高苑工商・台湾体育大・嘉義大にアマチュア野球チームの威達となっています。

2015 皇品盃中韓棒球交流賽
2015-2-2
活動類型:體育活動
主辦單位:教育處
辦理日期:2015-2-2至2015-2-13
活動地點:市立棒球場
活動內容:
嘉義市淳樸熱情的民風與對棒球的熱愛,加上溫暖舒適的氣候,吸引韓國球隊前來移訓,今年來自韓國高中、大學等6個隊伍,不僅在嘉義訓練,更和台灣球隊舉行交流賽,代表著台韓雙方在棒球交流上越來越緊密。

2015 皇品盃中韓棒球交流賽計有韓國幑文高中(2014韓國高中總冠軍),善陵高中,江陵高中,城南高中,慶熙大,延世大等6隊來嘉比賽,台灣方面則有臺灣穀保家商(2014�眦豹旗冠軍),平鎮高中,嘉義高中,高苑工商,台灣體大,嘉大,威達球隊等7隊,約240人進行共33場中韓棒球交流賽。比賽日期自今(2)日開始到13日,每天比賽3場,歡迎市民朋友踴躍前往棒球場觀賽,為中韓選手加油打氣。

http://www.chiayi.gov.tw/2011web/06_activities/02_detail_active.aspx?rid=3113

皇品盃中韓棒球交流賽 涂醒哲開球
2015-02-02 09:49:08 聯合報 記者魯永明╱即時報導


嘉義市首屆皇品盃棒球交流賽2日上午在嘉義市立棒球場開打,市長涂醒哲(左)主持開球當投手,投出好球,贏得掌聲。 記者魯永明/攝影

嘉義市皇品國際酒店舉辦的首屆皇品盃棒球交流賽,上午在嘉義市立棒球場開打,嘉義市市長涂醒哲開球當投手,投出好球,贏得掌聲,議員張秀華及郭文居也參加,首場由韓國徽文高中對戰嘉義高中隊。

張秀華說,韓國棒球隊因冬季下雪,會移地氣候溫暖台灣訓練,青棒選手都是韓國冠軍隊,安排與嘉義高中、穀保家商等國內青棒好手交流。涂醒哲代表市民歡迎韓國隊職員到棒球原鄉嘉市比賽。

賽程到2月13日止,由韓國慶熙大學、城南、江陵、善陵、徽文高中等棒球隊,對戰去年�眦豹旗冠軍穀保家商、高苑工商、嘉義高中、台灣體育大學等棒球隊友誼賽,歡迎民眾觀賽為球員加油

【中央社/嘉義市2日電】

嘉義市「皇品盃」台韓棒球交流賽,今天在市立棒球場舉行,由嘉義市長涂醒哲開球,期待雙方交流愈來愈密集。

2015皇品盃台韓棒球交流賽,韓國方面有(「微」中的「几」改成「巾」)文高中(2014韓國高中總冠軍)、善陵高中、江陵高中、城南高中、慶熙大學、延世大學等6隊來台比賽。

台灣方面則有穀保家商(2014�眦豹旗冠軍)、平鎮高中、嘉義高中、高苑工商、台灣體育大學、嘉義大學、威達等7隊參加。

比賽從今天起至13日進行33場交流賽。涂醒哲在開球時,以韓語向球員問好,韓國選手也高聲回應,氣氛熱絡。

涂醒哲表示,嘉義市民風淳樸熱情,氣候溫暖舒適,因此吸引韓國球隊來台移地訓練,他預祝所有參賽隊伍發揮最佳實力,爭取好成績。

涂醒哲指出,嘉義市有美食與美景,請選手在比賽之餘,也不要忘了到市區吃美食、看美景,體驗嘉義人的熱情,相信一定會流連忘返。

http://udn.com/news/story/7/681406-%E7%9A%87%E5%93%81%E7%9B%83%E4%B8%AD%E9%9F%93%E6%A3%92%E7%90%83%E4%BA%A4%E6%B5%81%E8%B3%BD%20%E6%B6%82%E9%86%92%E5%93%B2%E9%96%8B%E7%90%83

…というような情報は、あとになってから検索して知ったことで、スタンドからグラウンドを眺めていてまず目に付いたのは、「선린」と胸に書かれたユニフォームでした。次の試合に出場する韓国の高校らしいということはわかったので、検索をかけてみると、それは善隣高、正確には「善隣インターネット高校」のユニフォームでした。

なるほど、「善隣」ね…。あれ?どっかで聞いたことあるような…。

ここ、甲子園に出てなかったか?

http://bbkids.web.fc2.com/p90/900142.html

http://www.fanxfan.jp/bb/result/48_others.html

やっぱり出てるやん!1933(昭和8)年の夏の第19回大会に、「善隣商業」の名前で、しかも嘉義農林と一緒に。おまけに、初戦敗退とは言え、その相手は、嘉義農林が2年前に決勝で敗れ、この大会で前人未到の3連覇を達成した中京商業。

そしてこの善隣商業、韓国でも1960-70年代には屈指の強豪校として知られていたといいます。

善隣インターネット高等学校 - Wikipedia

선린인터넷고등학교 야구부 - 엔하위키 미러

さらに調べてみると、善隣商業が最後に全国大会で優勝した1980年、黄金獅子旗大会決勝戦の相手は光州一高。「5.18」のために非常戒厳体制下にあった光州からやってきた宣銅烈率いる光州一高を破ったのが、この善隣商業だったということも、台湾の嘉義の地まで来て初めて知りました。

宣銅烈の実家は(光州松汀駅のある)松汀洞にあったと言いますから、当時の5.18の現場からはやや離れた郊外であったはずです。そこから光州一高のある光州の中心部に近づけなかったというのも、想像に難くありません。

宣銅烈三星監督が語る「5・18に奪われた黄金獅子旗優勝への夢」
JUNE 21, 2007 03:01

「5・18のせいで優勝を逃がしたのです」

宣銅烈(ソン・ドンニョル、44)三星サムスン)監督は、1980年謔R4回黄金獅子旗野球大会の決勝で善隣(ソンリン)商業高校(商高)に優勝カップを譲ったのは当時、光州(クァンジュ)の戒厳状況のためだったと、20日、打ち明けた。

宣氏は野球名門の光州第一高校(一高)在学当時、最高の右腕投手として名を博していた。 しかし、黄金獅子旗とは縁がなかった。 高校1年生の時の1978年大会の2回戦では、ソウル高に2―3、翌年の大会では1回戦で強豪の慶北(キョンブク)高とぶつかり4―9で敗北を喫した。

宣監督は1980年大会で光州一高を決勝に導いた主人公。 同大会の8強で馬山(マサン)商高を相手に7回で7―0のコールドゲーム勝、4強では天安北一(チョナン・プギル)高と10回延長の末4―2で勝った。

宣監督は善隣商高(現在の善隣インターネット高)との決勝戦を「僕の人生で決して忘れられない試合だった」と振り返った。 宣氏は先発登板したが、善隣商高に3―5で逆転負けした。 ユ・ジホン(LGスカウト)に逆転安打、朴魯俊(パク・ノジュン、SBS解説委員)に2点ホームランを打たれるなど、3打点を奪われて敗戦投手になったこと。

1980年10月6日付けの東亜(トンア)日報は、8面のトップ記事で「左腕の真珠・朴魯俊が黄金の右腕・宣銅烈の防弾幕を破った」と報道した。 そして同大会で敢闘賞を贈られた宣監督が水準の高い投球を披露したと評価した。

「毎試合で連投して体力が落ちていたし、善隣商高の朴魯俊が良く打ったのです。 しかし、当時、光州は銃声が頻繁に聞こえてくるなど、殺伐とした雰囲気だったので、きちんとトレーニングできない状況でした」

1980年、光州の民主化運動当時、政府は非常戒厳を宣布した。 通りを歩くのも危険な状況で、学校も臨時休校の措置が取られていた。

宣監督は学校で合宿練習ができなくなったため、当時、ソンジョン洞の実家で個人練習をしなければならなかった。 宣監督の父親の宣パンギュ(昨年作故)氏が光州一高のチョ・チャンス監督と一部の選手をバイクに乗せて、家まで連れてきて、一緒にトレーニングできるように手助けしたりもした。 軍人らが宣監督の家まで押し入って脅したこともあると言った。

「個人練習が3週以上続いたんです。 選手らがそれぞれ自分の家で練習したため、チームワークが弱くならざるをえなかったんです。 そのような状況で、黄金獅子旗に出たのですから…」

しかし、宣監督は「光州一高の後輩らが1983年と84年、そして2005年に黄金獅子旗の優勝の夢を実現してくれたので、代理満足できた」と明るい笑みを浮かべた。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007062122078

[황금사자기 D-5]‘5·18’에 저격당한 우승 꿈
입력 2007-06-21 03:01:00 수정 2009-09-27 02:33:02


1980년 제34회 황금사자기 야구대회 결승에서 광주일고 선동렬(현 삼성 감독)을 무너뜨린 선린상고(현 선린인터넷고) 선수들이 우승기를 앞세우고 기념 행진을 하고 있다. 동아일보 자료 사진

“5·18 때문에 우승을 놓친 셈이죠.”

선동렬(44·사진) 삼성 감독은 1980년 제34회 황금사자기야구대회 결승에서 선린상고(현 선린인터넷고)에 우승컵을 내준 것이 당시 광주의 계엄 상황 때문이었다고 20일 털어놓았다.

그는 야구 명문 광주일고 재학 당시 최고 우완투수로 손꼽혔다. 하지만 황금사자기와는 인연이 없었다. 고교 1학년 때인 1978년 대회 2회전에서는 서울고에 2-3, 이듬해 대회 때는 1회전에서 강호 경북고를 만나 4-9로 졌다.

선 감독은 1980년 대회에서 광주일고를 결승에 올려놓은 주인공. 이 대회 8강에서 마산상고에 7-0 7회 콜드게임승, 4강에서 천안북일고와 10회 연장 끝에 4-2로 이겼다.

선 감독은 선린상고와의 결승전을 “내 인생에서 결코 잊을 수 없는 경기였다”고 회고했다. 그는 선발 등판했지만 선린상고에 3-5로 역전패했다. 유지홍(현 LG 스카우트)에게 역전타, 박노준(현 SBS 해설위원)에게 2점 홈런 등 3타점을 허용하며 패전투수가 된 것.

1980년 10월 6일자 동아일보는 8면 톱기사로 ‘왼팔의 진주 박노준이 황금의 오른팔 선동렬의 방탄막을 뚫었다’고 보도했다. 그러면서도 이 대회 감투상을 받은 선 감독이 수준 높은 투구를 선보였다고 평가했다.

“매 경기를 연투하며 체력이 떨어졌고 선린상고 박노준이 잘 치기도 했죠. 하지만 당시 광주는 총소리가 빈번하게 들리는 등 살벌한 분위기여서 훈련을 할 수 없는 상황이었어요.”

1980년 광주 민주화운동 당시 정부는 비상계엄을 선포했다. 길거리를 다니는 것도 힘든 상황이었고 학교도 임시 휴교 조치가 내려졌다.

선 감독은 학교에서 합숙훈련을 할 수 없게 되자 당시 송정동 본가에서 개인 훈련을 해야만 했다. 선 감독의 아버지 선판규(지난해 작고) 씨가 광주일고 조창수 감독과 일부 선수를 오토바이에 태워 집에서 함께 훈련하도록 돕기도 했다. 군인들이 선 감독의 집으로 쳐들어와 위협한 적도 있다고 했다.

“개인 훈련이 3주 넘게 이어졌어요. 선수들이 각자 집에서 개인 훈련을 하다 보니 팀워크가 부실할 수밖에 없었죠. 그런 상황에서 황금사자기에 나섰으니….”

하지만 선 감독은 “광주일고 후배들이 1983, 1984년과 2005년에 황금사자기 우승의 꿈을 이뤄줘 대리 만족을 하게 됐다”며 활짝 웃었다.

황태훈 기자

http://news.donga.com/3/all/20070621/8456896/1

この話を語るには、イムチャンジョンの隠れた名作「スカウト」が必見です。

KANOごっこが、戦前の甲子園だけでなく、1980年の光州事件まで想起させてくれるとは、まったく予想していませんでした。意表を突かれ過ぎて、固まってしまいました。


ちなみに、江陵高は1961年創立で野球部は1975年創部、城南高は1938年創立ながら野球部は1953年創部という「戦後派」ですが、徽文高は1906年創立、野球部も1907年創部という伝統校で、皇城YMCA野球団に勝利したという記録もあるそうです。

戦前の甲子園にも一度、徽文高普として出場し、1勝を挙げています(1923(大正12)年の夏の第9回大会)。日本人のいない朝鮮人のみで構成されたチームの出場は、これが唯一とのことです(こちらこちらなど参照)。

강릉고등학교 야구부 - 엔하위키 미러

성남고등학교 야구부 - 엔하위키 미러

휘문고등학교 야구부 - 엔하위키 미러

http://bbkids.web.fc2.com/p90/900061.html