親日派の内面

この記事を見る限りにおいてですが、紹介されている研究のアプローチは至極真っ当なものであると思います。

そのような研究成果の上に立って提出されている批判を、まず『朝鮮日報』が率先して受け止め、「政治的な誤用」について省察を深めてもらうことを、あまり期待せずに期待したいところです。

記事入力 : 2010/02/14 10:59:41
親日派:知識人の内面を解明した朴枝香教授(上)
日記の中の尹致昊は「自由主義者」、対日協力に乗り出した後も日帝に明確な批判的認識
人の生き様は極めて複雑で多面的、親日清算は数年で可能なものではない

 ソウル大西洋史学科でイギリス史を専攻する朴枝香(パク・ジヒャン)教授は、10年ほど前から、河英善(ハ・ヨンソン)ソウル大外交学科教授が率いる「伝播研究」の集まりで、『尹致昊日記』を研究してきた。日帝強占期の代表的なキリスト教指導者で、知識人に挙げられる佐翁・尹致昊(ユン・チホ)=1865−1945=は、1883年から1943年まで60年間にわたり、漢文や国文、そして大部分は英語で日記を書いた。

 朴枝香教授が2日に出版した『尹致昊の協力日記』(イスプ出版社)は、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスの「協力」など、西洋史学界の最新の研究成果を基盤として、対日協力に乗り出すことになった尹致昊の内面世界を細かく追跡した。尹致昊は、1938年に興業倶楽部事件で日帝に検挙された後、興亜報国団委員長、貴族院勅撰議員に任命されるなど、総督府に協力した。同書は尹致昊だけでなく、日帝強占期に協力もしくは順応する道を選んだ大多数の人物の生き様を、省察的に模索した研究書だ。

 まず朴教授は、ここ数年間に行われた過去史清算作業が政治的に誤用されている、と批判した。「多くの人が、親日協力者に向かって石を投げ、そこで利益を得ようとした。特に、政治家が介入すると、親日問題は例外なく、政治家の政略的野望にもてあそばれるおもちゃと化した。前政権の過剰な歴史修正意識から『誤って』生み出された親日反民族行為真相究明委員会の活動を見て、今や韓国社会はもう少し成熟した態度で過去を整理すべき時だ、と切実に感じた」

 朴教授が『尹致昊日記』で発見した尹致昊は「自由主義者」だ。「尹致昊は、自由が人間の最も重要な本質だと信じ、自由主義の価値である勤勉や自立、漸進的な歴史発展などに対する深い信念を持っていた」(97ページ)。尹致昊は、過激な断絶ではなく漸進的改善を信じ、性急な革新は保守主義よりさらに危険だと考えていたということだ。

http://www.chosunonline.com/news/20100214000021

記事入力 : 2010/02/14 10:59:45
親日派:知識人の内面を解明した朴枝香教授(下)

 朴教授は、尹致昊が1938年から対日協力に乗り出した後も、日帝に対し批判的で、その行動は本心に基づいたものではなかったと指摘した。「韓国の新たな支配者は、かつての朝鮮の皇帝の腐敗した官吏による地獄のような政策と同じく、韓国を統治した」(1938年8月20日付日記)。1939年の排英決起大会に会長として参加した尹致昊は、「彼らは、イギリス人を東アジアの吸血鬼だと非難した」と日記に綴り、自分はただ「会長として行動しなければならなかった」と語った。1941年、朝鮮臨戦保国団結成大会が開かれた際、尹致昊自身にとっては拷問だったにもかかわらず大会に参加せず、日記でもそのことについては言及しなかった。

 尹致昊は1930年代、ナチズムと共産主義が猛威を振るう世の中にあっては、日本の保護下にあることが朝鮮民族が生存する最善の方法だと考え、日本帝国の膨張が朝鮮人にとって利得となり得ると信じ、対日協力に乗り出した、というのが朴教授の分析だ。朴教授は、「基本的に自由主義者だった尹致昊が、一時イギリスや米国の自由民主主義に幻滅を感じ、片時であれ日本式のファシズムに同調したのは、彼の致命的限界。しかし、尹致昊の協力はやむを得ないものであったと同時に、あいまいな態度でなされており、尹致昊が自発的に所信を貫き親日を行ったという一部研究者の判断は、正確なものではない」と語った。

 朴枝香教授は、「人物辞典や報告書の数ページでは到底要約しきれない人生の複雑さと多面性をきちんと理解した上で初めて、それを裁断することができる」と語り、「親日の清算は、官が乗り出し、あるいは政府が任命した数人で構成する委員会が何年かでやれることではない。その課業は、より多くの研究が進展し、さらに多くの歴史的事実が究明された後に、初めて可能となる」と指摘した。

金基哲(キム・ギチョル)記者

http://www.chosunonline.com/news/20100214000022