ナショナリスティックな山歩き・2―天安・竝川編

高速バスターミナルから天安行きの高速バスに乗り込む。以前にも書いたように、料金は4800ウォン。所要時間はほぼ1時間といったところ。
天安は鉄道(ムグンファ号、もしくは地下鉄1号線)で行っても別にかまわないのだが、総合バスターミナルのほうが遥かに栄えていて、市内バスもそこに発着するので、バスで行ったほうが何かと都合がよい。

そのバスターミナルから、400番の市内バスに乗りこむ*1。ほぼ10分おきに配車され、独立紀念館も経由するこのバスで向かった先は、終点の병천(竝川/並川)である。バス停としての終点は「병천3리(竝川3里)」となる。天安のバスターミナルからさらに1時間以上かかってたどり着いたここは、思ったよりも人が集まっている町であった。店が集まっているところからして、スンデが有名であるらしい。

この終点からさらに先に歩いてゆくと、川を越えた先にこのようなものが見えてくる。

ああ違った。

ここは、殉国先烈としては安重根と有名度で双璧をなすであろう유관순(柳寛順)の出身地であり、その祀堂を中心とした追慕・記念のための施設が集まっている。
http://www.yugwansun.com/

天安から乗ってきたバスは、ここの駐車場で配車待ちをするのだが、乗客はここから乗ることはできず、帰りはまた先ほどのバス停まで戻ることになる。

ここはまず、正面に柳寛順の画像を祀った「追慕閣」があり、小道を挟んだ右手には1919年の「アウネ独立万歳運動」で亡くなった人々の位牌を祀った「殉国者追慕閣」が並んでいる。柳寛順の追慕閣は朴正煕政権期の1972年に完成したとのことだが、殉国者追慕閣の方は2009年完成とごく新しい。1970年代の記念施設と2000年代の記念施設とが、ここでも不思議な共存を見せている。





また、これらの施設の下手には、柳寛順に関する展示施設である「柳寛順烈士記念館」もある。ここ一帯の説明パンフレットは、ここの受付に置いてある。

さて、これらの記念施設群の左手に、裏の山手に登る道がある。ここを登っていくと、柳寛順の招魂墓・1919年のアウネ運動で使われたという烽火台を経て、記念館から少し離れたところにある柳寛順生家に降りていく山道ルートになっている。招魂墓は1989年、烽火台は1977年、生家については復元自体は1991年ながら、生家址の管理はやはり1977年から行なわれていたという。



ここもまた、柳寛順の史跡めぐりは山歩きとともにある。
その整備状況を見ると、他の人物記念施設と大同小異ではあるが*2、同じ天安の独立紀念館などとは違って、出身地としての竝川の山河を目にし、そして踏みしめながら、そこで記念されている故人をしのぶという営みには、やはり何か無味乾燥ならざるものがあるような気がする。

*1:ちなみに、天安の市内バスでは、済州では使えなかったMini-Passも使えた。竝川までは1200ウォンだが、交通カード利用なら1150ウォン。

*2:この天安・竝川の様子からすぐに思い起こされるのは、亀尾の朴正煕生家である。