直接授業を取ったり話をしたりしたことはありませんが、何度かお見かけしたことはあります。
「こんな文章を書き、そんな発想をしてみたい」と思った先達の一人として、憧れの存在でした。
ご冥福をお祈りいたします。
数学者で京都大名誉教授の森毅さん死去 独特な社会評論
2010年7月26日2時0分
にこやかに語る森毅さん=2008年、東京都千代田区数学者で社会問題にも独特な視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。82歳だった。2009年2月、自宅で料理中に重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。自宅は京都府八幡市西山和気6の11。
東京都生まれ。幼少・青年期は大阪府豊中市で育ち、宝塚歌劇にも親しんだ。旧制三高(現在の京大)へ。そのころから歌舞伎や長唄、三味線などに熱中したという。東京大理学部に進学して数学を専攻。卒業後、北海道大助手などを経て1957年に京大助教授、71年に同教授となり、91年に退官した。
京大教員時代に深夜のテレビ番組に出演した。関西弁のユニークな語り口が注目され、多芸多才ぶりが評判となった。京大紛争中にバリケード内で数学の講義をするなど、「最後の名物教授」と親しまれた。剣客のような容姿からついた「一刀斎」というニックネームでも知られる。
退官後も自称「老人フリーター」として幅広く活動した。講演や執筆のほか、テレビのコメンテーターとしても活躍。文学アンソロジーの編集や書評、時事問題など興味の幅は広かった。
特に教育問題に関心が深く、活発に発言を続けた。「失敗しても、またやり直したらええやんか」と若者たちにエールを送り、個性を大切にすることを説いた。自身については「一人っ子で協調性は弱いけど、社交性はあるんや」。
専門は解析学。「ものぐさ数学のすすめ」などの著書を出版し、数学を通して何を学ぶかなど、教科書にはない数学の楽しみ方を発信した。数学者の遠山啓氏が創立した民間教育団体「数学教育協議会」にも参加した。
09年2月27日、1人でフライパンを使って昼食を作っていたところ、コンロの火が服に燃え移り、体全体の30%以上に重いやけどを負って大阪府内の病院に搬送された。そのまま入院し、治療を続けていた。
画家の安野光雅さんとの話を収めた「対談 数学大明神」や「異説 数学者列伝」「元気がなくてもええやんか」など著書も多数ある。
◇
<画家の安野光雅さんの話> 数学でもそのほかの分野でも、専門用語でなく普通の言葉、自分の言葉で話す人でした。だから、数学者じゃない私とも、世間話のように数学の話をすることができた。2度目に会ったのが対談となり、昼間から翌日の夕方までで一気に話した。それが「数学大明神」となった。疲れたけれど、本当におもしろかった。常にニュートラルで自由。存在感の大きな人でした。
<井上章一・国際日本文化研究センター教授(歴史研究)の話> 京大で森さんの授業を受けた時、証明の途中で「こんなはずじゃなかった」「このやり方は失敗やったな」と言う姿が印象的だった。後にご本人に「予習していなかったのですか」と尋ねると、「確かに僕はずぼらだったけれど、先生がぶざまな姿を生徒に見せることも大事なんだよ」。専門家はほころびのないよう物事を進めがちだけれど、森さんらしい見識ある構えだな、と感心させられた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0725/OSK201007250090.html
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