「卒論の書き方 (内田樹の研究室)」

不真面目にしかやってない(あるいはまったくやってない)のは論外として、真面目に熱心にやってる人ほど、ここに書かれていることで苦労している場合が多いような気がします。

「レポートは書けても論文が書けない」という人もよくいますし、「誰から誰への〈贈り物〉か」といういちばん大事なところを見失ってしまうケースもよくあります。

「自分のオリジナリティを明らかにする」
「先行研究批判」というのは、先行研究を「否定する」という意味ではぜんぜんありません。間違えないでね。
先行世代から「どさっ」と手渡された「学的贈り物」の山の中から、「この論件について研究する次世代の研究者には、これとこれは残しておかないといけないね」とセレクトすること、それが「先行研究批判」です。
そして、このセレクションの作業を通じて「私からの贈り物」の意味が際立ってきます。
みなさんが、クリスマスや誕生日に友だちにプレゼントする場合と同じです。
贈り物が「かぶらない」ようにするでしょ。
学術的オリジナリティも、それと同じです。
先行世代からの贈り物と「かぶらないようにする」こと。
私からの贈り物は「ほかの誰のものとも重複しません」という名乗り。
それがオリジナリティということです。
「私のこの贈り物と同じものを思いついた人は、これまで世界に誰もいません」という宣言がなしうることを「プライオリティ」と言います。
おわかりになりましたか。
学術論文を書く」ときの心構えは、みなさんがふだん生活しているときに「たいせつなひとに、自分のことをいつまでもきちんと記憶してもらいたくて贈る贈り物」を選ぶときの基準とまったく同じです。

http://blog.tatsuru.com/2010/08/03_1235.php

論文執筆で苦労している人は、いま書いている論文が「素敵な贈り物」として結実するように、そのために精進してくださいな。


…などと、私のような者がエラそうに言ってしまってすみません。
すみません、精進するのは私のほうです。