韓国と歴史 二題 その2

しばしば書いているネタの一環ですが、直接的にはこちらの続きになります。

国史国史)の問題だけを取り上げればこのように嘆くこともできると思うのですが、問題は、結局のところ「他の科目との優先順位をどうするか」という観点から論じたとき、この科目の順位が下がり続けており、他の重要科目を押しのけて再浮上する気配もない、ということではないでしょうか。

TOEIC満点なら就職や出世の足しになりますが、韓国史満点でも…何かの役に立ちますっけ?

そんなわけで、このニュースはある意味、現代韓国が「そういう社会」であることの反映なんでしょうねえ。

記事入力 : 2010/08/22 08:48:46
受験に不利な韓国史、9割が未履修(上)

入試制度改編で韓国史教育が危機に
現時点でも、国史で受験する生徒は10%に過ぎないというのに…
社会探究領域1科目のみ選択へ、「取らない方がいい科目」に転落
「独島・東北工程問題も何の話だか分からなくなる」

 「この先、高校で国史(韓国史)をきちんと学ぶ生徒は5パーセントにも満たないだろう」(ソウルの私立大の歴史学科教授)

 2014年度の修能(大学修学能力試験、日本のセンター試験に相当)改編案が発表されてから一夜明けた20日、多くの教育専門家らがこうした予想を口にしつつ、「歴史の勉強が危機に瀕(ひん)している」という反応を示した。インターネットの受験生向けのサイトには、受験生たちから「修能で韓国史のような科目を誰が受けようとするだろうか」というコメントが寄せられている。

 修能で国史は、社会探究領域に属する。これまで人文系の生徒は、社会探究領域11科目のうち4科目を選択し試験を受けていたが、14年度からは、6科目中1科目のみの選択へと縮小される。

 こうなると、相対的に難しい韓国史を選択する生徒はほとんどいなくなり、修能中心に進められる高校教育の現場でも、歴史をきちんと教えることが難しくなる、と専門家らは指摘する。

 多くの生徒が、自分の国の歴史をよく知らないまま、卒業することになるというわけだ。

■10人中9人は、既に国史を勉強せず

 04年度まで、国史は修能で人文・自然系共通の必修科目だった。しかし、05年度からは「選択中心」に変わったことで、国史もまた「選択科目」へと転落した。自然系の生徒は最初から見向きもせず、人文系の生徒にとっては、「取らなくてもてもいい科目」になった。

 その後、修能で国史を受験する生徒の数は激減した。05年度の修能では、人文系の生徒の46.8%が国史を選択したが、07年度には22%まで大きく落ち込んだ。

 昨年行われた10年度の修能では、国史の選択者は6万9704人で、社会探究領域を選んだ受験者の18.7%に過ぎなかった。修能受験者全体から見ると10.9%で、既に受験生の10人に9人は、国史の勉強をしていないことになる。14年度には新たな修能のシステムが導入されるため、この数字はさらに半分以下にまで落ち込む可能性が大きい。

 デソン学力開発研究所のイ・ヨンドク所長は、「受験生らは、国史が別の科目より分量が多い上、内容も難しく、あまり慣れていないことから、不利だと考える傾向がある」と語った。またイ所長は、「ソウル大が国史を必須科目に定めたことで、優秀な生徒が国史を選択するため、ほかの生徒は標準点で不利だと感じ、さらに国史を敬遠するようになっている」と説明した。

 多くの教師が、学校での国史教育で既に問題が生じていると指摘した。学校では修能を中心に授業を行うため、比重が低い国史は「冷や飯を食う」ことになったというわけだ。

 蚕室女子高(ソウル市)のアン・ヨングン進学支援部長は、「国史は、1年生のときに必修科目として授業があるのみ。2年、3年生は、人文系・自然系のほとんどが正規の科目としては学ばない」と語った。その上、「2009改正教育課程」が全面施行される14年からは、必修科目ではなく、「社会科の一つ」として選択科目になる。

http://www.chosunonline.com/news/20100822000004

記事入力 : 2010/08/22 08:48:52
受験に不利な韓国史、9割が未履修(下)

入試制度改編で韓国史教育が危機に
伊藤博文を銃撃したのは安昌浩?


 高校の教育課程での「国史無知」現象は、そのまま大学教育の現場に影響している。ソウルのある私立大歴史学科のB教授は、「ここ5、6年、新入生の歴史の知識はかなり低い水準に陥っている。安重根(アン・ジュングン)と安昌浩(アン・チャンホ)を区別できない学生や、キム・ユシンと李舜臣(イ・スンシン)のどちらが古代の人物なのかも知らない学生が多い」と語った。

 ソウルのある有力大学のC教授は、「歴史学科の新入生なら、少なくとも英祖・正祖が18世紀の国王だという知識くらいは踏まえた上で、ようやく大学で何かを学べるのではないか」とため息をついた。古朝鮮三国時代−統一新羅渤海との「南北国時代」)−高麗−朝鮮と続く王朝史の基本的な流れすら知らない学生も多いという。地方のある大学のD教授は、「今は教科書ではなく、史実とはまるでかけ離れたテレビの“でたらめな歴史ドラマ”が、韓国国民を教育している」と愚痴をこぼした。

 韓哲昊(ハン・チョルホ)韓国近現代史学会会長(東国大教授)は、「このまま行けば、東北工程(高句麗渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする企図)や独島(日本名:竹島)問題がなぜ起こったのかという歴史すら分からなくなる。歴史教育をもっと強化しなければならないのに、“知らなくてもいい”と放棄しようというのか」と語った。

 一部の学者らは、李性憲(イ・ソンホン)議員(ハンナラ党)らが先月発議した「高等教育法一部改正案」と歩調をそろえ、歴史教育の見直しと強化に乗り出そうという動きを見せている。改正案では、34条7項で「大学は、修能を入学選考資料として活用する場合、韓国史科目を含めなければならない」と定めているが、修能改編案の「社会探究1科目選択」とは、両立し得ない条項だ。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

http://www.chosunonline.com/news/20100822000005


もう一つのお題は、最近邦訳が出たこの本に関するコラム。

漫画に描かれた日本帝国―「韓国併合」とアジア認識―

漫画に描かれた日本帝国―「韓国併合」とアジア認識―

この研究書、近代日本の膨大な風刺漫画を収集して考察を加えた労作で、このコラムはそのごく一部を取り上げて論じているに過ぎません。コラム子の受け止め方も理解はできますけど、もっといろんな立場からの、いろんな読みどころがあるように思います。

記事入力 : 2010/08/22 12:19:16
【コラム】100年前の日本漫画に描かれた朝鮮(上)

 料理人が鶏をつかみ、さばこうか、どうしようかと悩んでいる。片手には包丁が握られている。まな板の上の鶏は、身動きできない状態で、悲劇的な運命を待っている。

 1910年6月5日、日本の新聞「二六新報」に、このような風刺漫画が掲載された。カイザーひげを生やした料理人は寺内正毅・韓国統監(後の初代朝鮮総督)、鶏は朝鮮を表している。強権統治で悪名高い寺内統監が、一体いつ韓国併合に踏み切るか、時期を見計らっていることを風刺したのだ。結局、それから2カ月後、料理人は鶏をさばいた。

 100年前の韓国は、日本の風刺漫画家たちの格好のネタになった。当時、日本の風刺漫画で朝鮮がどう描写されているかについては、『日本、漫画で帝国を描く』(一潮閣)という本で興味深く考察されている。国民大の韓相一(ハン・サンイル)名誉教授、高麗大のハン・ジョンソン教授の父子が著したこの本に収録されている、当時の日本の風刺漫画を見ると、羞恥(しゅうち)心と悔しさのあまり、血が煮えたぎる思いだ。

 乙巳勒約(いつしろくやく=第2次日韓協約)が締結された直後の1905年12月、ある時事雑誌に、鳥かごに入った鶏が、主人の与える餌を食べるという内容の漫画が掲載された。やはり、鶏は朝鮮、主人は日本を表している。鳥かごの横には、「朝鮮産保護鳥」という札が付いていた。乙巳勒約により、朝鮮を日本の保護国とするのに成功したことを描写したものだ。

 翌06年6月6日付のある新聞には、テーブルの上の鶏をめぐり、制服姿の二人の人物が、刀を持ったままにらみ合うという内容の漫画が掲載された。一人は初代韓国統監の伊藤博文、もう一人は当時の首相・桂太郎だ。「朝鮮へいどん」という料理を作るため、包丁を強く入れるか、そっと入れるかをめぐって対立しているのだ。これは韓国併合を強硬に進めるか、慎重に進めるかという論争を風刺したものだ。この漫画には、『朝鮮料理競争』という露骨なタイトルが付いていた。

http://www.chosunonline.com/news/20100822000026

記事入力 : 2010/08/22 12:19:27
【コラム】100年前の日本漫画に描かれた朝鮮(下)

 100年前の日本の風刺漫画で、朝鮮は鶏として描写されることが多かった。貪欲(どんよく)な日本の帝国主義は、朝鮮という鶏をいかに料理して食べるかと考え、そんな意識を包み隠そうともしなかった。

 韓国が日本に併合された1910年、前出の時事雑誌の新年号に掲載された風刺漫画では、朝鮮という鶏小屋の中で、「親日鶏」と「排日鶏」が激しいけんかをしている。そして、この2羽の鶏が「夏のハエの群れのように争っている」とこき下ろし、「自分たちが危機に直面していることも知らず、けんかばかりしている鶏は実にかわいそうだ」という説明文を付けた。国を奪われる危機に直面しているにもかかわらず、国論を二分して争っている朝鮮を、思い切りばかにしたのだ。

 そして、韓国併合当日の1910年8月29日、ある雑誌の風刺漫画では、伊藤博文があの世で代表的な征韓論者の西郷隆盛に会い、朝鮮という鶏をささげる場面が、「お祝い」として描かれている。100年前の世界は、現代のわれわれが考えているよりもはるかに残酷で、野蛮な世界だった。

 ところが、朝鮮の民衆は、世の中がどう動いているのか、十分に知ることさえできなかった。日本による韓国併合が迫っていることを伝える、1910年8月22日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、「朝鮮人は何が起こっているのかをまったく知らずにいる」と報じた。

 当時の朝鮮を描写した日本の風刺漫画の中でも特に、韓国人の心を逆なでするのは、豊臣秀吉伊藤博文があの世で対面する様子を描いた漫画だ(前出の時事雑誌の11月1日号)。伊藤博文安重根(アン・ジュングン)に暗殺され、あの世へ行くや、約300年前に朝鮮を侵略した豊臣秀吉がうれしそうに出迎え、対話するというものだ。

 「あなたの胸にできた(銃撃による)傷は、何よりも立派な勲章だ」(豊臣秀吉

 「300年前にあなたが初めて試みたことを、ようやく成し遂げました」(伊藤博文

 他国をまるで食べ物のように考えていた、殺伐とした世の中。われわれはそれでも、何とか生き残り、今日まで歩んできた。

朴正薫(パク・ジョンフン)記者(社会政策部長)

http://www.chosunonline.com/news/20100822000027