幸せと祝福とを

相手を不幸に引きずりおろすために行動したことは、間違いないのでしょう。そしてそれはかなりの程度、思い通りに実現したのでしょう。

それをとやかく言う気はありません。その人はそれを選ぶことができます。

ただそれは、自らが幸せになること、自らの幸せを他人様に祝福されることを、諦め、放棄することによってしか、選び取ることはできません。

自分より幸せな人、自分の不幸を踏み台にしていい目を見ている人を、不幸の底へと引きずりおろす。そのことによって、自分の幸せもまた他人様によって取り上げられるべきものであること、自分もまた不幸へと引きずりおろされるべき存在であることに、その人は同意したのです。

かつてあの人に拒否権を与えなかったその人に、それを拒否することなどできるはずがありません。

こうして、あの人を不幸へと引きずりおろしたその人もまた、不幸へと引きずりおろされずにはいられません。人を不幸に突き落とすことの悲劇は、伝染して受け継がれて広がっていくことにあります。

この連鎖を断ち切り、すべての不幸を引き受ける。それは不幸の極みかもしれません。けれどもそれは、ジョーカーのごとき力を秘めた、救済の極みであるかもしれません。


というのもまあ、これを読んで、「無茶言うなよおい!」と思ったからです。

 また「麻木さんのしたたかな略奪に振り回されてしまった大桃さんは大きく傷ついただろうと思います。謝ってくれて元夫を今も支えてくれていたら、気持ちの上では納得できる着地だったかも知れないが、この形は納得できないでしょうね。仕事もプライベートでも今よりもっと幸せになることが大桃さんの最大のリベンジです」と話していた。

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20101225/enn1012251343003-n1.htm