慶弔費の負担感

弔事はともかく、慶事には呼ぶことも呼ばれることもない私が口を挟むことではないかも知れませんけど、こういう費用が負担に感じられるというのは、家計上の問題・経済上の問題でもあると同時に、「そういう付き合いに意味や意義を感じられなくなってきている」という価値観上の問題でもあるようです。

慶弔費のやり取りを「悪循環」ととらえたり、「メンツにとらわれない合理化」を勧めたりといった方向性が正しいのかどうか、私としてはやや躊躇いが残ります。

記事入力 : 2012/05/05 10:04
退職者の10人に8人、慶弔費に負担感

 6年前に事業経営から引退した男性Iさん(67)は、5年前に娘の結婚式の際に記録しておいた祝儀の記録を重い気持ちで開いた。慶弔に関する連絡が来るたびに、その人が過去にいくら出したかを確認するためだ。自分の慶弔時に金銭を包んでくれた人だけに祝儀や香典を支払うことにしているが、それでも負担は大きい。

 Iさんの財産は自宅と貯金数千万ウォン(数百万円)が全てだ。国民年金や子供たちからの仕送りを使い、毎月120万ウォン(約8万5000円)ほどの支出があるが、慶弔費の支出は多い月で20万−30万ウォン(約1万4000−2万1000円)を占める。先月には結婚式が2件、葬儀が1件で15万ウォン(約1万円)の支出があった。男性は「(挙式の)招待状が来ると、めでたいという気持ちよりも先に怖くなる」と漏らした。

■慶弔費、6年で39%増

 本紙が統計庁の家計収支調査の詳細データを分析した結果、昨年韓国の1世帯当たりの平均慶弔費支出は月5万2800ウォン(約3760円)で、2005年の3万7900ウォン(約2700円)に比べ39%増えた。同じ期間の所得の伸び率(33%)を上回った。

 統計庁関係者は「祝儀や香典は3万ウォン(約2100円)、5万ウォン(約3550円)、10万ウォン(約7100円)を包むことが多い。物価上昇に従い、以前3万ウォン包んでいたところに5万ウォン、5万ウォン包んでいたところに10万ウォン出さなければならなくなり、慶弔費支出が所得を上回るペースで増えているとみられる」と指摘した。

 サムスン生命引退研究所が、仕事を引退した50代以上の500人を対象にアンケート調査を行ったところ、10人中8人が慶弔費負担に苦しんでいる実態が明らかになった。

 慶弔費が「大きな負担だ」との回答は26.2%、「やや負担だ」との回答は57.2%をそれぞれ占めた。これに対し「特に負担ではない」は15.4%、「全く負担ではない」は1.2%にとどまった。

 調査は今年3月に実施されたもので、慶弔費の1回当たりの平均支出額は、祝儀が7万ウォン(約4980円)、香典が7万3000ウォン(約5190円)だった。しかし、回答者に適当と感じる金額を聞いたところ、平均で祝儀は5万6000ウォン(約3980円)、香典は5万7000ウォン(約4050円)だった。

 同研究所のキム・ドフン責任研究員は「心の中では5万ウォンにしておきたいが、仕方なく10万ウォンを包む人が多いのではないか」と述べた。

 回答者の慶弔費支出は年平均116万ウォン(約8万2500円)で、退職後も月に10万ウォンがかかる計算になる。

■慶弔費の本音

 金融会社の役員Kさん(63)は、毎月平均10件の慶事、弔事に顔を出す。会社から慶弔費の補助を受けても、毎月100万ウォン(約7万1000円)程度は自腹を切る。Kさんは「負担や疲れを感じても、20代後半の息子、娘がまだ結婚していないため、『投資』だと思うようにしている」と語った。

 姜正遠(カン・ジョンウォン)ソウル大教授(人類学)は「慶弔費をやりとりするのは一種の経済的関係だが、その関係で損をしたくないという思いから、慶弔費の悪循環が断たれない」と指摘した。

 一部にはそうした悪循環を断ち切ろうという努力もある。大韓生命の一部部門では、毎月職位によって、8000−2万5000ウォン(約570−1780円)を拠出し、慶弔時には部署名で10万ウォンを支払う。仁川市の公立中学校の教師たちは、慶弔時に1人当たり2万−3万ウォン(約1400−2100円)を集め、複数名義で祝儀や香典を包んでいる。

 禹在竜(ウ・ジェリョン)サムスン生命引退研究所長は「メンツにとらわれず、自分が合理的と考える慶弔費を必要な人にだけ支払い、残った資金を引退費用に充てるという具合に意識の転換が必要だ」

金正薫(キム・ジョンフン)記者 , チェ・ギュミン記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/05/05/2012050500386.html

とは言え、私自身は「必要を感じないことに金を出す必要はない」という主義なんですけど。

逆に言えば、「これは必要だ」と感じたり、「これは何としても出したい」ということには、痩せ我慢してでも出すつもりでいます。それすら叶わないときの惨めさを、知ってますからね。