東西両京の地方紙コラム

今回の件でいくつか関連の社説やコラムを読みました。その中から印象に残ったこの2本を、あとで読み返せるようにクリップ。

橋下氏の発言

 人間、あまりのことにすぐさま反応できないことがある。13日の橋下徹大阪市長の発言がそうだった。従軍慰安婦について「軍の規律を維持するために必要だった」と肯定し、米軍司令官に対し風俗業の活用を勧めたというのだからあきれる▼戦争遂行の道具に使うことは人間としての女性を否定する。それは男性を駒としか見ていないことの表れでもある。だが、きのうも「必要なことは厳然たる事実」と繰り返した▼日本維新の会ツートップの相方、石原慎太郎氏も「軍と売春は付きもの」とさらりと言う。だが、こういう言葉は女性の芯を疼(うず)かせる。だからこそ性差を超えて社会で共通の認識を持とうと努めてきた年月ではなかったか▼なのに、橋下氏お得意の「ちゃぶ台返し」である。真意を探るのも腹立たしいが、これだけは分かった。歯切れ良さとは大衆を引きつける一方で何かを切り捨てる、それは往々にして弱者である−。この党の持つ危うさだ▼米兵による性暴力に苦しめられてきた沖縄からは怒りの声が上がる。折しもきょう本土復帰から41年。「復帰とは何だったのか」という問いは、「日本にとって沖縄とは何なのか」というわれわれへの逆照射に他ならない▼橋下氏の発言に「本土」がどう向き合っていくのか。沖縄の人々は見ている。
[京都新聞 2013年05月15日掲載]

http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/20130515_4.html

【コラム】筆洗
2013年5月16日
 <黒竜江に近い駐屯地に/遅い春が来たころ/毛虱(けじらみ)駆除の指導で慰安所に出向いた><オンドルにアンペラを敷いた部屋は/独房のように飾り気が無く/洗浄の洗面器とバニシングクリームが/辛(つら)い営みを語っていた>▼陸軍の衛生兵として、旧満州慰安所で薬を配って歩いた経験を基にした河上政治さん(92)の「慰安婦と兵隊」という詩である。十数年前に読み強く心に残った。続きを紹介したい▼<いのちを産む聖なるからだに/ひとときの安らぎを求めた天皇の兵隊は/それから間もなく貨物船に詰め込まれ/家畜のように運ばれ/フィリッピンで飢えて死んだ>▼<水銀軟膏(なんこう)を手渡して去るぼくの背に/娘の唄(うた)う歌が追いかけてきた>。女性の出身地は分からない。薬を届けて帰ろうとした河上さんの耳に、彼女が口ずさんでいる歌が飛び込んできたのだろう▼<わたしのこころは べんじょのぞうり/きたないあしで ふんでゆく/おまえもおなじ おりぐらし/いきてかえれる あてもなく/どんなきもちで かようのか/おまえのこころは いたくはないか>▼性の営みという最も私的な領域まで管理、利用されるのが戦争だ。「慰安婦制度は必要だった」と明快に言い切る政治家には、兵士を派遣する立場の視点しかない。自らが一兵士として列に並び、妻や娘が慰安婦になる姿など想像できないのだろう。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013051602000135.html