【釜山の風景】民族と女性歴史館

釜山編の続き。ですが、これは他の釜山編の翌日のことです。今回はこちらの記事で、一連の釜山・慶南地域訪問記事を締めたいと思います。

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帰国前の半日を利用して訪れたのは、釜山にある「民族と女性歴史館」。地下鉄の水営駅近くにありますので、地下鉄で向かえばいいのですが、西面からだと市内バスがルート的にいちばん合理的です。

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「水営史跡公園」のバス停を下りたらすぐ、こんな感じで、大通りに面した雑居ビルの2階にあります。

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この小さな入口から階段を上ります。

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ここは、挺身隊問題対策協議会の釜山地区協議会会長である金文淑氏が私財を投じて設立したものです。なので、いつでも誰でも勝手に入って観てっていいというものではなく、私の訪問時にも資料展示室(階段上がって左側)は施錠されていました。そこで、オフィスの金会長と職員さん*1にお声がけをして開けてもらいました。

プサンナビにも投稿された紹介記事がありますが、こちらでは私が見たことなどもいくつか付け加えておきます。

www.pusannavi.com

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決して広くはない展示スペースには、展示物や資料が足の踏み場だけを残してぎっちり詰まっています。そのかなりの部分が、金会長自身が自らの生涯をかけて活動してきた中で集められた記録と第1次資料とで占められています。本来であれば、もっときちんと整理収蔵されてしかるべきもののはずです。

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ここを管理する女性の職員さんに案内してもらいつつ観て回ったのですが、その中で、こちらの慰安婦少女像の建立についてもお話を聞くことができました。

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釜山にある少女像のうち、オリニ大公園にあるものが挺対協釜山協議会によって建立されたもので、日本総領事館前に置かれた少女像とは意匠が違う上に、両者の設置運動には接点がほとんどない、というお話でした。

その件、過去記事ではこの辺で取り上げていますので、ご参考までに。

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展示室を見学した後は、金文淑会長とも少しお話をすることができました(日本語で)。せっかくの機会なので、こちらからも少しだけ質問をしたのですが、それは先の少女像の話に加えて、ここにある資料の保管について、それから関連して同じ釜山にある日帝強制動員歴史館についてのことでした。

これについては、中央日報日本語版の記事もあるのですが、やはり資料問題は深刻であるということ、国が設立した日帝強制動員歴史館との間に信頼感があるとは言えない状況であることなど、率直な言葉を交えてお聞きすることができました。

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民間歴史館が苦労して収集した慰安婦資料に危機=韓国(1)
2014年02月16日13時12分 [ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]

「最近はメディアで日本軍慰安婦問題をあまり扱わないようです。苦労したおばあさんが生きられる日もいくらも残っていないのに、こうして忘れられないか恐ろしいです」。

12日午後、釜山市水営洞(プサンシ・スヨンドン)の「日本軍慰安婦おばあさんの民族と女性歴史館」。朝刊を読んだ韓国挺身隊問題対策釜山協議会のキム・ムンスク会長が苦笑いを作った。

赤レンガで作られた古い建物の2階にキム会長が2004年に私財を投じて作った慰安婦歴史館がある。ここは日帝強占期に日本軍慰安婦被害者が最も多かった釜山・慶尚南道キョンサンナムド)地域で唯一の日本軍慰安婦歴史館だ。

グレンデール慰安婦少女像、仏アングレーム国際漫画フェスティバル企画展などで日本の慰安婦蛮行に対する内外の関心が再び高まっている。だが、政府の認識さえなかった時期から日本軍慰安婦問題を社会に知らせるため努めてきた関連団体は依然として寒くつらい日々を送っていた。

歴史館のあちこちは11年間にわたりキム会長が注いできた情熱と涙で埋められている。史料を保管したガラスの壁面にはほこりひとつ見られなかった。長く釜山地域の女性運動をしてきたキム会長が日本軍慰安婦問題に関心を持ち始めたのは1993年。キム会長は韓国と日本を行き来し関連資料を集めた。

キム会長はイ・スンドクさんら10人が日本政府を相手取り起こした「下関裁判」を支援した。98年に日本の裁判所は初めて日本軍慰安婦国家賠償責任を認める判決を下した。当時の資料はそっくり歴史館に保管されている。

2012年に歴史館は閉館の危機に陥った。キム会長が私財を注ぎ込んだが限界に達したのだ。オープン翌年から釜山市が支援してきた年間700万ウォンの予算では非常に足りなかった。釜山市は2013年から年間1300万ウォンに予算を上げた。女性発展基金650万ウォンも追加で支援した。だが、人件費と教育プログラム運営費用など月700万ウォンずつかかる歴史館の運営は依然として手に余る。(中央SUNDAY第362号)

https://japanese.joins.com/article/843/181843.html

民間歴史館が苦労して収集した慰安婦資料に危機=韓国(2)
2014年02月16日13時12分 [ⓒ 中央SUNDAY/中央日報日本語版]

最も残念なことは苦労して集めた史料が毀損されかねないという点だ。ほとんどが紙の資料なので湿気や温度変化に弱いが、除湿機さえそろえられなかった。暖房用ガスストーブによる火災の危険もある。スペースが狭く、廊下と事務室・倉庫にまでぎっしりと資料が積まれていた。

歴史館のカン・ファスク館長は、「国に代わって個人がしてきたことだが、もう政府が荷物分担して担いだら良いだろう」と話した。

釜山市は昨年12月に歴史館資料の移管をキム会長と相談したという。今年4月末に竣工する釜山「日帝強制動員歴史館」に資料を寄贈するようにということだった。キム会長は「保管のための資料寄贈はできない」と話す。

「私たちが資料を集めた目的は単純な展示だけでなく歴史教育をするためです。ガラスの壁の中に閉じ込めておくつもりはないです」。

女性家族部は今年慰安婦被害者事業予算を2倍以上増やした。資料と記録物管理だけで33億ウォンを超える予算を策定した。だが、資料はほとんど民間団体に散らばっており、女性家族部が確保した資料はない。釜山歴史館のように記録物を保有した地域団体支援や史料保存のための長期計画は目につかない。

日本の右傾化が加速化しながら日本軍慰安婦問題を長期的観点で扱っていかなければならないという声が高い。日本の安倍首相は執権後、慰安婦問題を否定し続けてきた。先週の村山富市元首相の訪韓を契機に国レベルの記念物が必要だという指摘も出ている。ポーランドワルシャワにあるユダヤ人犠牲者慰霊塔のように、日本軍慰安婦問題の求心点となる象徴物がなければならないということだ。1970年に当時西ドイツのブラント首相が慰霊塔の前にひざまずいて謝った場面は戦後ドイツの歴史館を象徴する瞬間として残った。韓国政府は2007年に独立記念館に慰安婦被害者記念館建設を推進したが独立記念館理事会の反対で計画を撤回した。

日本軍慰安婦おばあさんとともにする昌原(チャンウォン)市民の会のイ・ギョンヒ代表は、「日本軍慰安婦問題に対する国際的関心を引き出し広報することも重要だが、記念事業や資料保存など政府ができる大きな枠組みの長期政策を立てることがもっと至急だ」と指摘した。(中央SUNDAY第362号)

https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=181844

www.youtube.com
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なお、下関裁判への支援をはじめとする金文淑氏の活動については、日本語の書籍でも読むことができます。

朝鮮人軍隊慰安婦

朝鮮人軍隊慰安婦

さて、こちらを出た後は、すぐ近くの水営史跡公園を見学してから、預けていた荷物をピックアップして帰国の途に就きました。

一言でいえば城跡公園です。のんびりした雰囲気の中を散策しつつ、歴史の説明を読んで回ってみてはいかがでしょう。

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*1:下に引用する中央日報の記事にある「館長」さんだったと思います。