【新北の風景】金瓜石神社(黄金神社)を訪れる。

台北郊外の観光コースとしては定番中の定番・九份を差し置いて、金瓜石にまず来たのは、ここにある金瓜石神社(黄金神社)が地元で注目を浴びつつあり、つい最近、神事の再現なども行なわれた、という話を聞いたからです。

黄金神社 - Wikipedia

日本統治時代に建立された神社の特別展開催/台湾・金瓜石
【観光】 2014/07/05 18:34


写真提供:新北市立黄金博物館

(新北 5日 中央社)台湾北部の観光地、九フン(=にんべんに分)に程近く、かつて金の鉱山があったことで知られる新北市瑞芳区・金瓜石の市立黄金博物館で「金瓜石神社と山神祭」特別展が開催され、地元の金瓜石神社の模型をはじめ、日本統治時代に台湾各地で建立された神社についての資料などが展示される。

特別展ではこれまでの学術研究や調査を基に、地元・金瓜石神社の歴史や建築、祭祀などのほか、日本統治時代に台湾に建立された神社について、その分布や特色、関連の文化財や貴重な図画の展示が行われる。

中でも注目されるのが、史料に基づいて精巧に作られた金瓜石神社の50分の1の縮小模型。1933(昭和8)年に建立された金瓜石神社は現在はその跡地に建物の一部を残すのみだが、日本統治時代の鉱山一帯の信仰の要で、2007年には新北市の市定古跡に選ばれた。模型は当時の金瓜石神社の全貌を忠実に再現しており、銅ぶきの屋根、木造りの社殿、手水舎(ちょうずや)、牛像など当時の様子を生き生きと表している。

「金瓜石神社と山神祭」特別展は10月26日まで黄金博物館・金水特別展示室および煉金楼の2階特別展示室で開催され、7月7日、25日にはそれぞれ台北芸術大学教授の黄士娟さんと林承緯さんによる講演会、「金瓜石神社の建築」、「無形文化財保存と山神祭」も開かれる。

博物館側では、この展示を通して市民らに昔の鉱山の様子や台湾の神社の歴史について理解を深めてもらえればとしている。

(黄旭昇/編集:谷口一康)

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201407050006.aspx

金瓜石神社與山神祭展 百年神轎與祭典繪卷吸晴


「台中神社兒童神轎」精緻美麗


「新竹神社祭典畫卷」是目前國內僅存、完整描繪日據時期神社祭典行列的全圖畫卷

(中央社訊息服務20140813 15:45:49)新北市立黃金博物館「金瓜石神社與山神祭」特展七月開展至今,已吸引近7萬人次造訪。其中,博物館展出珍貴私人典藏物品,最特別的分別為金水特展室中的「台中神社兒童神轎」,及煉金樓二樓特展室的「新竹神社祭典繪卷」,兩件文物難得公開亮相非常吸睛,爭相吸引民眾圍觀研究並合照留念。

黃金博物館表示,「台中神社兒童神轎」為私人收藏者劉人潔先生所有,但關於其製作年代與歷史背景卻無相關資料。經國立臺北藝術大學副教授林承緯初步依據該神轎轎身唯一可清楚判讀的文字『新高町』,與轎頂社徽、轎身尺寸,推斷其應該為日據時期臺中神社祭典時所使用的兒童神轎。臺中神社於大正元年(1912年)落成,隔年列格為縣社,昭和17年(1942年)昇格為國幣小社。林承緯副教授推測此頂兒童神轎極有可能是大正2年(1913年)後所造,從轎頂立體彩鳳到顏色飽和鮮豔的轎身精緻木結構,整體保存狀態十分良好,值得細細欣賞。民眾可透過此難得一見的神轎,和本次特展中依金瓜石耆老口述所製作的山神祭「樽神輿」做個對照比較,遙想當年盛況。

另一項珍貴的展示品,是黃金博物館向「秋惠文庫」借展的「新竹神社祭典畫卷」。這幅畫卷繪製年代不詳,應是目前國內僅存、完整描繪日據時期神社祭典行列的全圖畫卷,總長648 公分。畫卷上清楚繪有標示著「新竹神社」的幡巾;新竹神社完工於大正7年(1918年),也於昭和17年(1942年)昇格為國幣小社。雖礙於展場空間限制,本畫卷此次僅能展出其中精華的130公分片段,但民眾可於展覽現場透過影片,仔細瀏覽畫卷的全部影像紀錄。

此外,本館也特別感謝「國家圖書館」及「國立臺灣歷史博物館」授權數張全臺各地特色神社老照片的珍貴圖檔,充實本展實體文物亮點與可看性。「金瓜石神社與山神祭」特展希藉由各式特殊展示物件的整理與展出,讓參觀民眾進一步認識臺灣其他地區的神社歷史。展覽時間自即日起至103年10月26日,歡迎民眾把握機會,免費前往參觀。

訊息來源:黃金博物館

本文含多媒體檔 (Multimedia files included):
http://www.cna.com.tw/postwrite/Detail/154125.aspx

この件については、こちらのpdfファイルに詳細が尽くされています。日本語版の翻訳が欲しいところです。

金瓜石神社山神祭 - 新北市政府文化局


ともあれ、そんな次第で、本来であれば博物館や旧鉱山・建築など見どころも少なくない金瓜山に来ながら、そちらは置いといて、まずは神社を目指します。


賑やかなところを外れて、石段を登っていきます。道すがら、向かい側の茶壺山の茶壺がよく見えます。

程なくして石灯籠が見えてきますが、ここで気を抜いてはいけません。まだまだ先はあります。

さらに歩くと、鳥居付きの石灯籠が見えてきます。でもまだまだ神社は見えません。



なかなかの急坂ですし、疲れてくるところにこの思わせぶりな配置、パワースポットだからと言って安易にデートコースにすると、相手に嫌われかねない気もします。再現されていた山神祭は、ここを神輿を担いてきていましたが、大変だったでしょうねきっと。

上ってきた山道を右手に折れるこのポイントが見えてきてようやく、目的地はすぐそこだとわかります。


最後の鳥居をくぐると、敷地内はこんな感じになっています。社殿などの建築物は残っていませんが、基礎部分や石柱が残っています。社殿の建物があったのは敷地の奥の一段高くなっている場所でしょうから、その前に林立しているこの石柱が何なのか、正直よくわかりません*1




そのような「謎」も込みで、遠くに海を臨み、茶壺山がもっともよく見えるというこの場所、何となく神秘的な雰囲気が感じられるのは確かで、パワースポットと言われるのもわからないではありません。私が訪れた時も、遠足やハイキング、あるいはデートで登ってくる人は少なくありませんでした。

ともあれ、金鉱山に働く人々や地域住民に親しまれた神社としてかつてどのような姿を見せていたのか、想像のし甲斐のある場所です。


*1:仮にここに拝殿があったとしても、普通に考えればそれは木造建築だっただろうと思うのですが。