大阪人権博物館(リバティおおさか)が休館に追い込まれる。

リバティおおさかと言えば、人権問題を取り上げた総合博物館として、展示だけでなく調査研究でも多くの成果を挙げてきた機関だったのですが、現在まで続く維新市政からの圧迫を受け続けた末に休館となってしまいました。残念であると同時に非常にもったいない。

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別の場所での再建と言っても、独力でそれを実現するのは簡単ではありません。資料の散逸を防いで再建に備えるだけでもコストはかかり続けます。どのようなあり方が考えられるのか、再建・維持のための費用をどう捻出するのか、悩ましくて困難な状況がしばらくは続くと思われます。

リバティおおさか休館へ 消える人権運動の象徴 別の場所で再開目指す
毎日新聞 2020年5月11日 07時00分(最終更新 5月11日 07時00分)

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地域のランドマークともなってきた大阪人権博物館大阪市浪速区で、戸田栄撮影

 コロナ禍の中、日本で唯一の人権問題の総合博物館として国内外の来館者を集めてきた大阪人権博物館(リバティおおさか)=大阪市浪速区浪速西=が、ひっそりと人権の故地での35年の歴史の幕を閉じようとしている。同館は存続を懸けた大阪市との裁判闘争の末、2022年に別の場所での再開を目指して6月1日から休館する。5月末には、しばしのお別れの無料一般公開などをする予定だったが、実施は困難な状況だ。

 同館は大阪府大阪市が全面的に支援し、1985年に大阪人権歴史資料館として出発し、95年に大阪人権博物館と改称してリニューアルオープンした。部落問題のほか、障害者や性差別、在日コリアンアイヌ問題など多岐にわたる人権問題の展示・研究に取り組み、総入場者は約170万人に及ぶ。

 だが、大阪の知事、市長を務めた橋下徹氏らの方針転換により、府市は13年に補助金を撤廃し、存続の危機に陥った。さらに、市は同館の撤去と敷地の返還を求めて15年7月に提訴、同館は「政治的意図に基づく行政権力の乱用だ」と主張して大阪地裁で裁判が続いてきた。

 裁判では、市に土地所有権があることが重く、同館が部落差別解消推進法が成立する時代状況を含めて人権施設を廃止に追い込む施策の是非を問うには限界があった。このため裁判は和解協議に移行し、近く決着する見通しともされる。同館は全国水平社創立100周年の22年に向けて新しい場所での再建を目指す方針を打ち出し、今年3月に6月からの休館を決めた。

 同館の所在地周辺は、明治中期、被差別部落の解放を論じた自由民権運動家の中江兆民を国会へ送り出した地域だった。解放運動を本格的に展開した全国水平社が結成されるとまもなく本部が移ってきて、運動の中心地として全国にその名を知られた。野間宏の小説「青年の環」の舞台ともなった。

 この地域は部落解放には教育が重要と考えて、明治初期から地域で資金を集めて子どもの学校をつくってきた。同館の敷地も地元小学校の第3期校舎の整備(1928年)にあたり、地元で資金を集めて購入するなどした後、大阪市に寄付したものだ。このため、同館はかつての同校を模したデザインになっている。地域で、この建物は差別をはね返す意味を持つランドマークともなってきたが、同館の解体で失われることになる。

 同館の新たな建設地や規模、再開への具体的なスケジュールなどは、未定だ。再出発には相当な資金が必要なうえ、博物館事業は館単独で収支を安定させることが難しく、関係者は準備に苦慮している。その意味では、将来は不透明だ。休館中は巡回展やセミナーなどを開催するという。

 同館は「部落問題のみならず、さまざまな差別と人権に関する課題はますます重要になっている。教育や啓発はもとより資料の保管や研究などに貢献し、これまで以上に人権に関する総合博物館としての存在意義と社会的役割を担っていく」としている。【戸田栄】

https://mainichi.jp/articles/20200510/k00/00m/040/125000c