大牟田の「炭鉱電車」運行終了

大牟田は、単なる通過を除けば降り立ったのはたったの一度。しかも大牟田の駅前だけなのですが、「炭鉱電車」は、できることなら一度見ておきたかったものです。

f:id:bluetears_osaka:20200510002916j:plain

こういうのは、失われたらそれで終わりですからね。産業文化遺産として、できる限り残せるものは残してもらえればなと思います。

炭鉱電車運行終了に万感 熟練の整備で支え40年「さみしかですね」
2020/5/8 6:00
西日本新聞 ふくおか版 吉田 賢治

f:id:bluetears_osaka:20200510002333j:plain
ぴかぴかに磨いた炭鉱電車の前に立つ山中寿一さん

 福岡県大牟田市三井三池炭鉱閉山後、三井化学専用鉄道として受け継がれてきた「炭鉱電車」が7日、運行を終えた。三井化学に保線や運行を委託されてきた三池港物流の鉄道課整備部門4人のうち、最古参の山中寿一さん(63)=同市田隈=は、40年にわたり炭鉱電車とともに歩んできた。この日、特別に最終電車に乗車した山中さん。「やっぱり、さみしかですね」と万感の思いを口にした。

 田川市にあった炭鉱の閉山で、三池炭鉱の関連会社に転職した父とともに、幼少期に大牟田市に転居した。造船会社勤務を経て23歳で三井鉱山に入社し三池港務所(三池港物流の前身)に配属。最初は炭鉱電車の運転士を務め、石炭を満載した16両の貨車を昼夜3交代で引っ張った。「炭鉱がなくなるとは思ってもおらんかった」。日本のエネルギー供給を支える仕事に誇りを持ち、懸命に働いた。

 30代半ばに整備担当となり、先輩に教わりながら技術を覚えた。明治時代製を含む古い電車ばかりで、手に入らない部品は、使っていない別の古い車両の物と交換した。数千点もの部品を分解する検査の際は、各車両の“癖”を覚えていないと組み立てがうまくいかないなど苦労もあった。「無形文化財ともいえる山中さんの整備技術がなければ、炭鉱電車は動かなかった」。同僚や三井化学関係者は口をそろえる。

 なぜ製造後100年超の車両が動くのか。「現代の電車は基板を組み込んだ電子部品が多い。炭鉱電車は機械的な部品が多く、一つ一つ丁寧に磨けば長持ちさせられる」と山中さん。炭鉱電車のシンプルな構造が長寿の理由とみている。

 定年まで2年を切り、若手への技術継承に力を注ぐ中で廃線を知らされた。「ずっと炭鉱電車に関われると思っとったのに残念です」

 最終運行後の操車場。鉄道課の職員一同に、三井化学から感謝の花束が贈られた。「安全運行を続け信頼を得てきた証しと思う」。山中さんは誇らしさと寂しさを胸に、整備に明け暮れた炭鉱電車を見つめた。

 三井化学は、廃線後の車両を含む専用鉄道の資産の活用に向け、関係者と協議中という。 (吉田賢治)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/606521/