学徒出陣の記憶・記録と、各大学のアーカイブ

最初に見たのは専修大学についての東京新聞の記事ですが、関連記事を検索するとたくさん引っかかってきます。当時はどこも関わった話ですから、当然と言えば当然のことです。

【首都圏】学徒出陣の記憶を学びやに 専修大・生田キャンパスで6日から企画展
2015年11月3日


展示される「報国隊」腕章や日章旗など=東京都千代田区の専修大学

 専修大は六日から、戦後七十年を記念して、学徒出陣をテーマにした企画展を川崎市多摩区の生田キャンパスで開く。卒業生からの要望もあったためで、学内では「平和を大切にする専修大の姿勢をアピールする機会にもなる」と期待が高まっている。 (山本哲正)

 先の戦争には同大の学生、教員も巻き込まれた。一九四一年、学内に「報国隊」が組織され、学生約三千人のうち三分の二が学徒出陣。特攻も含めて多くの人が亡くなったとみられる。理系学部のある他大学と異なり、社会科学系の専修大では学生のほとんどが出征の対象となった。

 この歴史を当時実際に使われた腕章など資料約五十点、学内で行われた壮行会や勤労奉仕などを伝える写真資料約五十点を展示して紹介する。

 卒業生で戦前に一世を風靡(ふうび)した歌手上原敏さんが、南方で亡くなる一年前の四三年、長女に宛てて書いたとされる手紙などもある。また同大に在籍し、亡くなったとみられる武内健一さんの日章旗には柔道をしていたためか、徳三宝(一八八七〜一九四五年)ら柔道家の名前が連なる。

 学生が戦争に巻き込まれた歴史を振り返る他大学の企画展を見た年配の卒業生から、「専修大ではやらないのですか」と尋ねられたりする中で大学史資料課が企画した。

 同課の大学史編集副主幹、新井勝紘・元文学部教授(歴史学)の協力も得て、卒業生や遺族らに聞き取りを実施。関連資料を借りたり寄贈を受けたりして約一年かけて準備した。聞き取りで得た「専修大の教員は学生の面倒見が良く、陸軍士官学校にも訪ねてきてくれた」といった証言もビデオで会場に流す。

 同大の内藤光博教授(57)=憲法学=は、安全保障関連法などを踏まえて「戦争への社会的関心が高まる中で好企画だと思う」と話す。大学史資料集「専修大学と学徒出陣」も今月中旬に刊行予定。同課の瀬戸口龍一課長は「古い時代の話ではなく、社会について考える材料にしていただければ」と呼び掛ける。

 企画展は生田キャンパス九号館一階で十二月五日まで。日曜休館、入場無料。問い合わせは大学史資料課へ。

 展示される武内さんの日章旗については、千葉県船橋市の高梨敏雄さんが「遺族のもとに返したい」と情報を求めている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201511/CK2015110302000176.html

当時から存在した大学には、それぞれに関係の記録や資料が残っているはずです。そうしたものをきちんと整理し、保存・公開していくことは、各大学の責任において行なわれるべき責務であると思います。

2015/11/1 08:00
学徒出陣 入学者の8割超 神戸大の前身校 学籍簿など洗い出し


学徒出陣を控え、湊川神社に集団参拝する神戸商業大予科の生徒=1943年、現在の神戸市中央区多聞通3(大学文書史料室提供)


調査結果をまとめた表。出征した学生の行は黄色で示されている=神戸市灘区六甲台町、神戸大学百年記念館

 太平洋戦争中、神戸大(神戸市灘区)の前身校、旧制神戸商業大から学徒出陣した学生の数は入学者の8割を超えていたことが、神戸大付属図書館大学文書史料室の調査で分かった。神戸大による学徒兵の実態調査は初めて。全国の学徒兵の総数は約13万人ともいわれるが、戦後70年を経ても明確ではなく、専門家はこうした大学ごとの記録の重要性を指摘する。

 神戸大は1949年、神戸商業大が前身となる神戸経済大、旧制姫路高校など7校が統合して設立。空襲や戦後の混乱で各校の資料が失われ、これまで学徒兵の概数さえ把握されていなかった。

 同史料室は、比較的資料が残っていた神戸商業大と姫路高校2校に着目。神戸大に保管されていた学籍簿や出席簿、入学時の提出書類を捜し、戦後に保護者から寄せられた学生の消息を知らせる手紙などと突き合わせて洗い出した。

 神戸商業大(44年から神戸経済大)では、42年10月〜45年4月の間に入学した910人中、少なくとも84%に当たる762人が出征し、そのうち戦死とされたのは68人。一方、生徒の年齢層が低い姫路高校は、ほぼ同時期で1155人中82人の出征が判明した。

 調査結果は11月6日まで、神戸大で開催中の特別展「戦時下の神戸大学」で展示している。個人情報保護との兼ね合いから調査対象の学生の氏名は、名字の1文字目以外を伏せた上で、本籍地▽生年月日▽出身校▽入隊日▽軍歴▽復員日▽卒業日−などを一覧表にして公開。いかに多くの学生が青春を奪われたかが、実感できるようになっている。

 野(の)邑(むら)理栄子室長補佐(43)は「教育より戦争遂行が重要視されていたことがあらためて浮き彫りになり、ショックだ。判明した情報量には個人でばらつきがあり、はっきりしない部分もある。今後も研究を継続したい」と話す。

(小尾絵生)

【学徒出陣】

 太平洋戦争で局面が悪化するのに伴い、兵力不足を補うため、1943年10月、旧制大学や高校、専門学校などの学生や生徒に認められていた徴兵を猶予する措置が、理工系を除いて停止された。東京の明治神宮外苑(がいえん)競技場などで出陣学徒壮行会が開かれ、同年12月には満20歳以上の法文系の学徒が陸軍や海軍に入隊した

【日本近代大学史が専門の折田悦郎・九州大教授の話】

 国全体の学徒出陣の数はいまだ定かではなく、各大学による調査の積み重ねでしか明らかにすることができないため、神戸大の取り組みは意義深い。大学の内部文書は個人情報の塊で、保管大学でしか扱えない。体験者がいなくなりつつある戦後70年の今こそ、証言とともに基礎データを記録に残さなければならない。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201511/0008528799.shtml

コラボで問う学都と戦争 東北大と東北学院


仙台空襲前後の市街地の写真を説明する職員=東北大史料館


出征学徒への激励が記された日章旗東北学院史資料センター

 戦後70年を記念した東北大と東北学院大の連携企画展「学都仙台と戦争」が、仙台市青葉区の東北大史料館と東北学院史資料センターで開かれている。両大学の連携展は今回が初めて。学徒出陣で文科学生が戦線に送られた際の記録資料などを展示する。来年1月29日まで。

 東北大は「東北大生の戦争体験」と題し、約140点を展示する。入隊を控えた学生の手記、1945年7月の仙台空襲後に行方不明となった学生の安否を問う学生課の掲示が保存されていた。仙台空襲前後の市街地を空撮で比較した写真もある。

 東北学院大は「ミッションスクールと戦争」をテーマに約50点を並べる。礼拝堂正面のステンドグラスを覆うように日の丸が掲げられた写真や、日の丸に関係者の激励文が書かれた出征旗を展示した。

 東北学院大の前身である旧高等学部は43年に文科を廃止。国策に沿う形で44年に航空工業専門学校を設立した。東北学院史資料センターの星洋和さんは「学校の生き残りを図るため、戦闘機の整備士を養成する学校に転換せざるを得なかった。戦争が教育現場に与えた影響を考えてほしい」と話す。

 24日には展示解説がある。東北大では午後1時、東北学院大では午後2時半から。両会場を巡回して聞くことができる。

 東北大史料館の開館時間は平日午前10時〜午後5時。東北学院史資料センターは平日午前9時〜午後5時。土曜日の24日は特別に開館する。

2015年10月22日木曜日

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201510/20151022_15040.html

九州帝大の出陣学徒、無念の行進 72年前の壮行会
宮崎健二 2015年7月24日09時33分


中楯興さんが残していた5枚の写真のうちの1枚。全学壮行会を終えた出陣学徒(列の後方)が正門を出ていく=九州大大学文書館所蔵

 太平洋戦争で日本軍の兵力不足を補うため、国が大学生らを戦地などに赴かせた学徒出陣。九州帝国大(現・九州大)でも72年前の10月、大規模な壮行会があった。その様子を記録した写真などをたどると、学問を続けられない無念さや、死への不安など学生たちの秘めた思いが伝わってくる。

 壮行会は1943年10月19日、福岡市東区箱崎の九大工学部グラウンドで開かれた。当時の様子を記録した5枚の写真を、法文学部2年で出陣学徒となった中楯興(なかたてこう)さん(2008年に死去)がアルバムに張って残していた。中楯さんは戦後、九大大学院で学び、経済学部教授などを務めた。長男の潔さん(62)が12年に九大の大学文書館に写真を寄贈した。

 九大の学徒出陣を研究した文書館の折田悦郎教授(大学史)は、印画紙の状態などから5枚は同一人物の撮影によると判断している。壮行会と、大学近くの筥崎宮、東公園での参拝が各1枚、行進して大学の正門を出て行く場面が2枚。アルバムのページ上部には「朝日新聞社写真部」という手書きの文字があるが、入手の経緯などはわかっていない。

 当初、大学生は27歳まで徴兵を猶予されていた。だが、戦局悪化に伴って猶予の範囲が徐々に狭められて猶予はなくなった。ただ、理工医系や教員養成系の学生には、改めて入隊延期が認められた。九大の出陣学徒は、法文学部と農学部の学生がほとんど。折田教授によると、1943年は確認できただけで700人弱いたという。

 中楯さんは当時、日記に書いた。

 「学問に生きることが現実的戦争に生きることに上から置換せられた」

 「それにしても残念である。中途半ぱで剣をとることは。しかし諦観(ていかん)しなければならないのだ。僕は」

     ◇

 法文学部で中楯さんの1年後輩だった同志社大名誉教授の内田勝敏さん(91)も出陣学徒の一人。入学は43年10月1日で、入隊は同年12月なので、大学生活はわずか2カ月だった。

 壮行会について内田さんは「全然うれしくなかった。歩かされている感じでした」と振り返る。ただ、軍国主義に染まった時代だけに、その気持ちを口や態度には出せなかった。確かに、写真にある学生服の隊列は、行進の足並みがそろっていないように見える。

 九大生の隊列はやがて東公園に到着し、万歳を叫んだ。内田さんは「これで大学もおしまいか、と嘆いていた。やけくその万歳でしたね」と語る。

     ◇

 中楯さんは長崎の部隊に、内田さんは中国戦線の部隊にそれぞれ配属された。内田さんは食料調達などが主な役割だったが、敵の攻撃を受けたこともあったという。折田教授によると、九大に籍を置いたまま戦闘や病気で亡くなった人は、確認できただけで85人。43年の学徒出陣の対象となった42年と43年の入学者が半分を占めた。

 内田さんは46年に帰国。当時を振り返って「人々が強く平和を求めたのが戦後日本の原点」と話す。だから、日本が戦争に巻き込まれる可能性が大きくなりかねない安全保障関連法案が衆議院で可決されたことが心配でならない。

 「とても危ない。どれだけ戦争のことがわかっているのか。戦争に行かされただけに強く思います」(宮崎健二)

http://digital.asahi.com/articles/ASH7Q3CLFH7QTIPE008.html

学徒出陣 語り継ぐ
2015年10月21日


約2万5000人が行進した明治神宮外苑競技場での学徒出陣の壮行会(1943年10月21日撮影)

 早稲田、中央、法政、東京外国語大学は、学徒出陣に関するイベントをそれぞれ開催する。72年前の10月21日、明治神宮外苑競技場で学徒出陣の壮行会が開催されたことを受けたもので、各大学は戦後70年の節目に、若い世代に戦争の記憶を語り継ぎ、平和への誓いを新たにする機会としたい考えだ。

 早稲田大は21日午後1時から、新宿区の早稲田キャンパス小野記念講堂で、「学徒出陣を語り継ぐ 学生を二度と学苑から戦場に送らない」と題するイベントを開く。

 大学史資料センターの檜皮瑞樹助教が基調講演を行い、学徒出陣後、シベリアに3年抑留された卒業生や海軍工廠こうしょうで勤労動員を経験した卒業生の体験談を聞く。今の学生との意見交換も行う。

 中央大は、戦争と同大とのかかわりを見つめ直すシンポジウム「戦争と中央大学」を同日午後1時20分から、八王子市の多摩キャンパス8号館8307教室で開く。

 学徒出陣して特攻隊に志願した卒業生たちを現役の学生らがインタビューした映像を上映するほか、教授らによるパネルディスカッションも行われる。

 法政大学も来月23日午後1時半から、市ヶ谷キャンパスボアソナードタワーで、学徒出陣に関する報告会を開く。2012年から実施している同大の学徒出陣に関する調査結果の中間報告を行うほか、慶応、専修、日本大学の3大学が各自の調査内容を報告し、討論する。

 また、東京外国語大学府中市)は、学徒出陣や戦後の混乱などで卒業証書を受け取れなかった1944〜46年の卒業生12人に、証書を授与する。このうち2人が今月31日の同窓会「ホームカミングデイ」に出席予定で、立石博高学長から証書を受け取る予定だ。

 日本戦没学生記念会わだつみ会)の高橋武智理事長は「学徒出陣の正確な数は今なお分からない。戦後70年を機に、戦争を二度としない、過ちを繰り返さないという思いを込めて、卒業証書を渡すなどの行事を行うことは大変意義深い」と話している。

 学徒出陣では、戦時中の戦局悪化に伴う兵力不足を補うため、20歳以上の学生・生徒の徴兵猶予を停止。1943年10月21日、同競技場では雨の中、約2万5000人の学徒が出陣を前に行進をしたことで知られる。徴兵された学徒は10万〜13万人とされるが、正式な記録は残っていない。

 早大、中大、法政のイベントはいずれも入場無料、直接会場へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20151020-OYTNT50304.html