慶尚南道の教育都市としても知られている晋州の重要大学の一つ、慶南科学技術大学校は、旧市街地のほぼど真ん中、廃駅となった旧晋州駅と高速バスターミナルから目と鼻の先にキャンパスがあります。市の郊外にあって新しい晋州駅の方がむしろ近い慶尚大学校のメインキャンパスとは対照的な立地です。
慶南科学技術大学校というと、ずいぶんと無機質な印象を受けますが、けっこう伝統校なんですよね。2011年以前は「晋州産業大学校」、さらにそれ以前には「晋州農林専門大学(学校)」と呼ばれ、そのルーツをさかのぼれば1910年の「公立晋州実業学校」にまで行きつくという、創立100年を超える学校です。
慶南科学技術大学校 - Wikipedia
경남과학기술대학교 - 위키백과
진주시 산업대학교 개교 100주년 - 향토자원 - 지역정보포털
そんな歴史を感じられるものが、キャンパス内を歩いてみるといくつも目につきます。
まずはこちら、かつての正門です。正門の移転とキャンパスの拡張にともなって、今は門として使われてはいませんが、1931年にこの地に学校が移転してきて以来、この場所にあったものだとのことです。
そしてそこから近い場所に立っているこの碑。サッカーボールをかたどったこの「蹴球全国制覇記念碑」が記念しているのは、1965年の「全国高等学校サッカー選手権大会」と、1936年の「全朝鮮中等学校蹴球大会」という、2つの大会での優勝です。1936年当時は「晋州公立農業学校」、1965年には「晋州農林高等専門学校」という名称で大会に出場していたと思われます。
ただ、1965年の優勝はこちらで確認できるのですが、1936年のほうはこちらには載っておらず、日程も違っているので、同じ名称の別の大会(そういうのもあったらしいです)でのことだったかもしれません。
ともあれこの学校は、植民地時代から「晋州の農業学校」として知られる学校であったことは確かです。同じ場所には、その他にも校史記念碑や教員・卒業生の顕彰碑などが立っています。
「以農治国」碑が1952年、「黄雲性先生頌功碑」が1955年、「青潭大宗師禅詩碑」が2014年の建立です。
青潭大宗師は、晋農第12期の卒業生なんだそうです。韓国仏教界ではかなり重要な人物だったようですが、そのへん詳しくはありません。
永遠(영원)히 함께 계시는 逭潭大宗師(청담대종사)의 生涯(생애) - 동대신문
またこの近くには、晋農の教育の歴史を伝える鐘塔や、博物館となっている古い建物「晋農館」なども見ることができます。開館していなくて博物館は見学できませんでした。残念。
ちなみに、ここまで見てきた記念碑にしばしば名前が刻まれている「今村忠夫」という人物については、故郷の高知に頌徳碑が建てられているそうです。
晋州(Chinju)公立農業学校の校長を20年間、務めた今村忠夫さんの頌徳碑が土佐市の彼の旧家の跡、土佐市民病院前に建っている。彼は戦前、日本統治の厳しい時代に、民族の違いで分け隔てをしない親身の教育を行った。今なお多くの人々からの尊敬を集めており、日韓両国の教え子達により十数年前に建立されたものである。
このように高知は韓国と深い縁があって、高知工科大学や高知大学は、晋州産業大学(前身が晋州農業学校)との間で学術交流協定を結んだのである。共同開催のワールドサッカーの報道を聞く度に思い出されるのである。
http://blog.goo.ne.jp/golffck/e/2cfde469938196f5d05971fe7b783925