【釜山の風景】永楽公園・その1:太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑・日本人冢移安之碑とその周辺
こちらの続き、通度寺新坪バスターミナルから釜山に帰ってきてからの話です。
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老圃駅から梵魚寺駅まで地下鉄で移動して降ります。
そこから東側の山手の坂道を登っていくと、その先にあるのが永楽公園。釜山市立墓地や火葬場・納骨堂などが集まっている場所です。
全部歩いて回るとなると相当たいへんです。鼎足山を回ってきて、そんな時間も体力もありませんので、今回はポイントを絞って回ることにします。
まずはこちら。第12墓園から第6墓園へと向かう林のなかの道の入り口になります。
まず目に付くのが、「太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑」の白くて大きな姿。釜山・慶尚南道地域のものではなく、現在の北朝鮮を含む各道別に集計された陸海軍合計で21709位にのぼる朝鮮半島出身の犠牲者が祀られています。
見ての通り、この慰霊碑は1997年に建立されたものです。そして、この碑から道路を挟んだ一帯には、それよりも古くに建立された慰霊碑が3基ほど並んでいます。
で、日付上、これらの慰霊碑の中でいちばん古いのが、実は「日本人冢移安之碑」ということになります。見た目ではいちばん新しそうですが、「1962年5月設立」「1991年9月移立」と刻まれています。
釜山にかつてあった日本人墓地から集められてここに納められているのは遺骨ではなく位牌だそうで、その一覧を刻んだこの石板は、最近になって増設されたものです。家名のもの、個人名のもの、外国人名のものなど、さまざまな位牌が納められていることがわかります。ここを訪れたのは個人的には4回目か5回目くらいだと思いますが、これを見たのは初めてです。
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ともあれ、ここはよく知られた場所なので、紹介や訪問記はネット上で数多く見かけます。これらを通して読めば、立地や歴史的経緯、石碑増設以前の状況などがほぼわかると思います。
2003年 2月 韓·日歷史文化探險隊 釜山日本人慰霊碑について
無名日本人の遺骨を合祀した金玄玉ソウル市長とそれを壊した朝鮮人 | 酒たまねぎや ホームページ
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