一揆研究と進歩的「階級闘争史観」

私は歴史学には全く疎いのですけど、近代の一揆研究をちょっとだけ読んだことがあるので、目に付いたこちらのエッセイを読んでみました。

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階級闘争史観と一揆

拙著『応仁の乱』(中公新書)の予想外のヒットにより、私は何やら応仁の乱の専門家のように見られている。しかし私の本来の専門は一揆で、博士論文でも中世の一揆をテーマに据えた。

一揆を研究対象に選んだ理由はいろいろあるが、一つには一揆が戦後歴史学の花形テーマだったからである。戦後歴史学の意義と限界を見定めるためには、一揆の検討は欠かせない。

では、なぜ一揆研究は戦後歴史学の王道だったのか。それは、戦後歴史学が「階級闘争史観」に立脚していたためである。

階級闘争共産主義の基本的な概念で、非常に単純化して説明すると、階級社会において被支配階級が支配階級による搾取を拒否するために展開する闘争のことである。現代風に言えば、反体制・反権力の抵抗運動、といったところだろうか。その究極の形態が、被支配階級が支配階級総体を否定する、つまりは体制をひっくり返す「革命」である。

軍国主義への反省から、敗戦後の日本では共産主義が流行した。歴史学界でも「マルクス主義歴史学」が主流となった。彼らは共産主義社会を理想視し、日本における共産革命の成功に期待した。

したがって、戦後歴史学では「日本の人民が権力と闘った歴史」を解明することが最重要の課題となった。このような潮流の中、中世や近世(江戸時代)の一揆は「階級闘争」と把握されるようになった。「過去の歴史において、民衆は一揆を起こして権力と闘った。我々も革命のために闘おうじゃないか!」というロジックである。つまり階級闘争史観においては、一揆は歴史の発展に貢献する「進歩的」な勢力と礼賛されたのだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56853

以上見てきたように、一揆は必ずしも「進歩的」な勢力ではない。民衆が一揆を結び権力に立ち向かったという階級闘争史観は、歴史的事実としばしば矛盾する。戦乱と民衆の関係は、一筋縄ではいかない複雑なものなのだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56853?page=3

うーん。一揆の実態が複雑であり、戦後歴史学のなかで階級闘争史観的な歴史観のもとになされた研究があるのは確かにそうなんですけど、そんな一揆研究が「花形」だったのって、戦後とは言っても世代的に著者より一世代どころか二世代以上前、戦前・戦中派が主流だった頃のことではないですかね…?

一揆の実像が、ここに書かれたようなものである、ということに特に異存はないのです。が、一揆の実態の解明と、階級闘争史観的な一揆解釈の評価とは、もっと分けて論じないといけない気がしますけど…。何だかよくわからないところが残ってモヤります。

とりあえず、いつの誰のどの研究が「マルクス主義的な階級闘争史観に基づく一揆研究」として著者の念頭に置かれ、槍玉に挙げられているのかが知りたいところです。