こちらの続きとなります。
blue-black-osaka.hatenablog.com
九徳共同墓地は九徳山の山腹に開かれた共同墓地ですが、次に見るのは厳光山の側にある共同墓地です。
「꽃마을(花の村)」は平地に比べればかなり高いところにある*1のですが、地形的には九徳山と厳光山との谷間に位置します。なので、九徳共同墓地から꽃마을(花の村)を抜けて、厳光山側の山道を歩いていきます。山道といっても、途中まではほぼ車も通れる道です。冬季は休業するみたいですが、子供向けの森林体験施設がありますからね。
その体験施設に至る道沿いのあたりは、その周辺に土饅頭がけっこう頻繁に見られます。地図上では共同墓地の範囲外のはずなのですが、このへんも元々は墓地の範囲内やったかもしれません。いずれにせよ、見た限りでは、共同墓地内のお墓の佇まいとあまり変わらないので、これらもまた近代以前には遡らないような気がします。
で、さらに歩いていくと、地図上の共同墓地の範囲に入ってきます。학장공동묘지(鶴章共同墓地)と呼ばれているところです*2。
ここに来るまでにも土饅頭はずっと目にしてきているのですが、ここまでくると心なしか密度が増しているような気もします。
たぶん、ちょっと開けたこの場所が、鶴章共同墓地の中心になります。九徳共同墓地でも見かけた監視小屋的なものもあります。
で、この鶴章共同墓地のこの様子、九徳共同墓地よりもさらに山を分け入った先にある立地のためか、山林の中に墓地が点在するという形になっています。ここから数十年、百年前の状況を正確に想像するのは難しいのですが、九徳や、あるいはソウルの忘憂里のような、墓地のための造成というのはあまり見られなかったのではないかと思われます。もちろん、そこに行くための道路や個別の墓域のための整地などはあったとは思いますが、ここにある山林樹木がすべて解放後に生長したものだとは考えにくい(違ってたら訂正します)。
例えば、いま辿ってきたルートから広場に向かって左側には、石囲いのある墓地があるのですが、こういうのはまず例外と言っていいでしょう。これはまだ維持管理がされてるっぽいです。
それ以外はほぼ、土饅頭のみの状態で長らく放置されているようで、墓碑の残っているもの以外は埋葬者の身元を知るのも難しく、無縁化しています。
ここは山登りの登山道の一部になっているので、人目に触れず忘れられていく、ということには必ずしもならないかもしれませんが、長い目で見れば、道から外れたところから徐々に埋もれていくことになるかもしれません。
ああ、そうそう、登山道といえば、この鶴章共同墓地の広場、十字路になっていて、꽃마을(花の村)からの道から向かって左はさっきの石囲い墓地の先から下り、右は土饅頭を見ながらの上りになっています。どの道をどう進もうと自由ですし、どこかには通じているでしょうから好きにしたらいいのですが、とりあえず大した目的もなく右手の坂道(たぶん厳光山山頂へのルート)を上るのはやめた方がいいと言っておきます。
上りの角度も大概なのですが、途中であきらめて引き返した時の下りがなお地獄です。
で、私は両側とも試した結果、直進して山を下るルートに賭けることにしました。これが正解だったかどうかはわかりません。ただ、「こんなことになるなら、素直に꽃마을(花の村)に戻ったらよかった」と何度か後悔したことだけは確かです。
ま、ここまで降りてこれれば、あとはどうにかなると思います。
ちなみに、今回のルートを地図に落とすとこんな感じですね。平面地図では山の上り下りの苦労が表現できない、とつくづく思います。