【清州の風景】佳景洞・鉢山公園の「天地神壇」碑

さて、順番に記事にしていきましょうか。まずは清州編です。ソウルから清州に行くにはまあ、市外バス一択でしょう。鉄道は、便も少ない、駅も市街地から遠い、でいいところ一つもないので。

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で、このバスターミナル周りは清州の代表的な繁華街と知っていいと思います。洞で言うと佳景洞になります。

そのバスターミナルの横手、ということになりますかね。ほぼ接する形であるのが、鉢山公園です。ロッテマートに面した交差点を、ロッテマートとは反対側に歩く感じで、まあ徒歩5分くらいでしょうか。

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このへんに書いてあることを読むと、「鉢山」というのは古くからある地名で、植民地時代のこの一帯の行政区統廃合で誕生したのが「佳景」という地名であることがわかります。そして清州市に編入されたのは1963年、朴正煕政権になってからだということです。

で、この鉢山公園。都市の中のオアシス的な存在で、そう大きくはないのですが、緑も豊かで高低差もあり、このあたりのかつての地形を残しているのではないかとも思います。

ちなみにこのトルハルバンは、提携関係にある済州の二徒2洞から寄贈されたものだそうです。

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公園内は、遊歩道や公衆トイレ、ベンチや東屋なども配置されていて、近隣住民が憩いの場としています。

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ところで、公園内にはこんな石碑も。武功受勲者功績碑。他都市でもちょいちょい見かけるやつです。ここは割といいところに立ててもらってますね。

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あ、なるほど。独島と対馬はそんな感じですね…。

他にも文学碑とか詩碑とか立ってるんですけど、そこは省略して今回のメインコンテンツに行きます。こちらです。

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向かって右は、ここにあった鉢山マウル(鉢山里)の由来を刻んだ記念碑(1997年建立)です。

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130年ほど前から村の形成が始まったこと、近くに山寺があり、その僧侶たちが使っていた鉢に村の形が似ていたことから「鉢山」と呼ばれるようになったことなどが記されています。

その中で、80年ほど前から村の安寧と豊作を祈って行われた祭祀の中心となっていたのが、左にある「天地神壇」碑だと、はっきり書かれています。

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これ、台座部分はここに設置した時に作ったものなんでしょうが、由来碑の書き方だと上の碑はたぶん実物なのでしょうね。私が見た限りでは、正面以外の背面側面には刻字は見当たりません。

実際問題、今回の清州歩きは、こちらの記事の追検証が目的なわけですけど、なるほどね。植民地期、迷信打破を目指した日本の政策に沿って建碑された天地神壇碑を、住民が80年もの間、信仰の対象として守ってきたしるしが、ここにあるわけです。

blue-black-osaka.hatenablog.com

この鉢山マウルの天地神壇碑を、「日帝残滓」として外野から否定してしまうのは、「正論」ですし、そうやって処理してしまえれば議論は単純になると思います。

ただ、上の記事にも収録したオーマイニュースの記者さんも、これに関してはそんなに単純な言い方はしていません。80年にわたる鉢山マウルの人々の営みに向けて「恥ずかしい」などという否定的な言葉を投げかけることには、誰しもが躊躇いを見せ、問題を切り分けながら慎重に言及を避けています。

www.ohmynews.com

植民地下における人々の敬虔な振る舞いと信仰心とをどう評価するか。これはなかなか簡単ではない問題だと思います。