【大田の風景】2019年8月の大田追慕公園・小ネタ編

こちらに書ききれなかったネタを2つばかり。

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まず、大田追慕公園の自然葬地で見たもの。

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整備作業してるおっちゃんやおばちゃんのお弁当か何かかと最初は思ったんですけど。

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ああなるほど。自然葬地に置かれた故人個人向けの造花やら写真やら何やらのグッズを回収してまとめて袋詰めしたわけですか。それでこの東屋にその横断幕が掲げられていたというわけですか。

遺族がそうしたものを飾りたい気持ちもわかるし、施設管理側の言うこともわかります。この手のことについては、管理が「行き届いている」ところも、わりと野放図に黙認されているところも、各地で見たことがありますから、このへんは両者の綱引きの間でそれぞれ一定のルールが定着していくんでしょうね。この数、また墓域の状況を見ると、施設管理公団の示した禁止事項を守ってない遺族はまだけっこういる様子…。

そして、いわゆる「大田追慕公園」から少し下ったところにあるこちら。ここも大田広域市施設管理公団が管轄する公設墓地です。

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もう少し正確な言い方をすれば、西区槐谷洞のこの一帯は、その全体が、1960年代後半から1970年代にかけて、市内各所の共同墓地を移転統合するために計画された公設共同墓地のエリアであり、山林に見える土葬墓地のほとんども、それぐらいの時代から以降のものだと推定されます。

そのへんの昔の経緯を伝える中都日報の2009年の記事は、こちらに収録しています。元記事のリンク先は、現在では見られなくなっているようです。

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ともかく、この墓地全体でも歴史はせいぜい50年ほどに過ぎないのですが、それでもやはり、無縁故の墓地は少なからず出ているようで。

こんな掲示も見かけました。

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もちろん、訪れた時期が夏だったという季節の問題はありますが、それにしてもこの広い山野を分け入って一つ一つの墓地を同定する作業は、これは相当大変だろうなと思います。このあたりもいずれは、アクセス容易な道路沿いから順次、再整備の対象になっていくと思われます。