関西大学スポーツの名将二人、最後の戦い

関西の大学スポーツにある程度関心があれば、誰もが名前を聞いたことのあるはずのお二人です。自らが率いた関西学院大学京都産業大学だけでなく、学生スポーツの歴史を体現する生き字引的な存在でもあります。京大や立命館と死闘を繰り返したライバル関係、同志社大阪体育大とともに関西の雄として関東勢に立ち向かっていった姿…。けっこうな数の試合が思い出されるなあ。

この毎日新聞の記事は、いい記事でした。

大学スポーツ支えた2人の名将 最後の戦いに闘志
毎日新聞2019年12月10日 22時39分(最終更新 12月14日 15時11分)

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関学大立命大】試合に臨む関西学院大の鳥内秀晃監督=大阪府吹田市の万博記念競技場で2019年12月1日、久保玲撮影

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関西大学ラグビーリーグ最終戦で指揮をとる京都産業大の大西健監督=たけびしスタジアム京都で2019年11月30日、大西達也撮影

 大学スポーツを長くけん引してきた2人の名将が今季で表舞台から去る。関西学院大アメリカンフットボール部の鳥内秀晃監督(61)と京都産業大ラグビー部の大西健監督(69)。15日に関学大は2年連続の学生日本一を目指して毎日甲子園ボウルに挑み、京産大は悲願の日本一に向け全国大学選手権で初戦の3回戦を迎える。【丹下友紀子、石川裕士】

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試合を前にした鳥内秀晃監督=大阪府吹田市の万博記念競技場で2019年11月24日午前11時59分、丹下友紀子撮影

父の金言胸に黄金期築く

 「別にないっちゅうねん」。最後のシーズンへの気持ちを報道陣に問われる度に、鳥内監督はそう繰り返す。15回目となる最後の毎日甲子園ボウルが迫ってきても、特別な思いはないという。毎年、4年生はその年が最後であり、自らの勇退で試合に向かう気持ちが変われば「今までの選手に失礼や」と考えるからだ。

 関学大の主力選手として同ボウルで初優勝し、監督も務めた父昭人さん(故人)の影響を受け、幼い頃からアメフトは身近だった。大阪・摂津高ではサッカー部だったが、関学大で競技を始め、ディフェンスバックとキッカーを兼任した。しかし、同ボウルでは日本大に4連敗。「後輩たちにここで勝たせてやりたい」。なれなかった日本一への思いで指導者の道に進んだ。卒業後に米国へコーチ留学。母校の守備コーチを経て1992年に監督に就任した。

 口ひげを生やしたいかつい顔で関西弁。「若い頃は上からやらせた」とトップダウンの指導だったが、2002年から4年間、同ボウル出場を逃すうちに考えが変わった。4年生に競技への意識を高めるため、考えることを求めた。「一対一で男の約束を作らんとしゃあない」と、4年生個々との1カ月に及ぶ個人面談を始めた。過去10年間で同ボウル出場7回(優勝6回)と再び黄金期を築き上げた。

 家業の製麺業を営みながら、「勝利を宿命付けられている」チームの監督を務めてきた。同ボウルで過去11回優勝。「しんどい」ながらも続けてきたのは「勝った時の学生の笑顔」があるからだ。教え子が被害に遭った昨春の日大の悪質タックル問題では、厳然とした対応で選手を守った。

 「4年生を男にしてやれ」。父から譲り受けた唯一の金言でラストイヤーを締めくくるつもりだ。

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スクラムを指導する大西健監督=京都市北区京都産業大神山球技場で2019年11月26日午後7時3分、石川裕士撮影

情熱的指導で関西大学リーグ4度制覇

 「もっと低く。棒立ちやないか」。京産大神山球技場(京都市北区)に厳しい声が響く。声の主はラグビー部の大西監督。フォワード(FW)のスクラム練習だ。1973年の監督就任後、総監督だった2年を含めて47年間チームを指揮し、大畑大介さん(44)=元神戸製鋼=や田中史朗(ふみあき)選手(34)=キヤノン=ら数々のトップ選手を送り出してきた。「努力は才能を凌駕(りょうが)する」が持論。情熱的な指導は変わらない。

 大阪・啓光学園高(現常翔啓光学園高)、天理大でナンバーエイトフルバックで活躍。新興チームだった京産大に請われ、23歳で監督に就いた。現役時代に学んだランニングラグビーを目指したが「壁に当たった」。「なんぼ走ってボールを動かしても、FWが押されたらバックスも機能しない」と痛感する。

 柔道部を参考に取り入れたのが「栄養合宿」だ。試合がある週の平日に鍋を囲み、どんぶりでご飯をおかわりしていく。食事の前後に体重を測定し、ノートに記入するのがルール。大畑さんら歴代部員の体重を記したノートも残る。「1食で4、5キロ増える学生もいる。いい選手は小柄でも食べることに貪欲」と語る。82年度に全国大学選手権初出場。関西大学リーグは4度の優勝を果たした。

 来年2月に70歳となり教授職を退職するのに合わせて「何事も有限でなければいけない。与えられた期間を力いっぱいやることが大事」と退任を決めた。チームの理念は「ひたむき」と「いついかなる場合でもチャンピオンシップを目指す」。全国選手権は33回目だが、最高成績は7度の4強。関西リーグは4位で厳しい戦いが予想されるが、理念を体現したい。「歴史を紡いできた学生たちに日本一という景色を見せたい」と闘志を燃やす。

https://mainichi.jp/articles/20191210/k00/00m/050/164000c

大学選手権と甲子園ボウルで、結果は明暗分かれましたけど、勝負事とはそういうものですからね。新時代の幕開けを楽しみにしたいと思います。

京産大 日大に敗戦…大西監督、47年間の指導者生活を終え勇退
[ 2019年12月16日 05:30 ]

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<日大・京産大>勝利し歓喜する日大フィフティーン(黒のジャージ)とそれを横目にガックリする京産大フィフティーン(撮影・久冨木 修) Photo By スポニチ

 全国大学ラグビー選手権は15日、3回戦4試合が各地であり、京産大は日大に19―24で敗れた。1トライ差を追う前半終了間際、ゴール前でのスクラムのチャンスを得点につなげられなかったことが響いた。1973年に就任した大西健監督(69)は47年間の指導者生活を終え勇退する。
 京産大のプライドはスクラムにある。73年、弱小チームに就任した大西監督は「努力で強くなれる」と半世紀近くこだわってきた。

 FW自慢の日大にも優勢だった。12―17の前半終了間際、中央5メートルスクラムで組み勝って反則を奪った。3点を返すPGを選べたが、「揺るぎない選択」と指揮官はスクラムを指令。しかし、押せない。逆に反則を犯し万事休す。後半はキックをうまく使われ陣地で劣勢。密集で組織的に圧力をかけられ、何度もボールを失ったことも痛恨だった。1トライ差届かなかった。

 ロック伊藤鐘平主将は、感謝の思いで監督を胴上げした。「先生はある意味、お父さんです」。出会いは「5、6歳」。17歳上の兄で元日本代表のOB鐘史コーチの応援に訪れた際、頭をなでられた。以後「大学はキョウサン」と心に決めた。

 入学時から、大西監督が70歳を機に退くことを知っていた。「日本一になって一緒に卒業やで」と声をかけられた。2時間ぶっとしのスクラムは日常的。長野県菅平の夏合宿は、急斜面「ダボスの丘」をスクラムを押して上がった。数々のトップリーガーを育てた伝統の練習は「衝撃的でした」と振り返る。

 「でも、力を付けられた」。卒業後は東芝へ進む。前半24分、SO山内のチャージに即座に反応。同点につながる40メートル独走トライが、置き土産になった。

 大西監督は、83年に全国初勝利を挙げた日大に、監督最後の敗戦を喫した。47年間の変わらぬ目標だった日本一はかなわなかった。

 「どのレベル、どんなメンバーでも日本一を目指した。日本一を目指し、どれだけ努力をしたかに意味がある。悔いはないです」

 午前5時半に筋トレルームのカギを開けることが日課だった。近年、寮にトレーニグ場ができ、解錠する必要がなくなっても、生活は不変。午前6時半の練習開始までの1時間を相談時間にし、選手のドアのノックを日々待った。厳しさの陰で、40年以上、早朝から選手に寄り添った。

 後任は伊藤主将の兄、鐘史コーチが有力。看板の「ひたむきさ」は受け継がれていく。

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/12/16/kiji/20191216s00044000122000c.html

関学大 甲子園ボウル30度目V 今季限りで退任指揮官の花道飾った
[ 2019年12月16日 05:30 ]

アメリカンフットボール 第74回甲子園ボウル 関学大38―28早大 ( 2019年12月15日 甲子園球場

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関学大早大甲子園ボウルを制し、トロフィーを掲げた鳥内監督(中央)と関学大の選手たち(撮影・山口 和洋) Photo By スポニチ

 有終のV30だ。学生アメリカンフットボールの日本一を決める「第74回毎日甲子園ボウル」(本社後援)が15日、阪神甲子園球場であり、関学大(西日本代表)が早大(東日本代表)を38―28で撃破。2年連続30度目の優勝を飾った。今季限りで退任する鳥内秀晃監督(61)の花道を飾る逆転勝利。WR阿部拓朗(4年)が甲子園ボウルMVPに輝いた。関学大は来年1月3日、ライスボウルで社会人王者と真の日本一を争う。

 カウントダウンに感慨がこもった。学生日本一の歓喜と、去りゆく名将を惜しむ思いが聖地で交錯する。2年連続30度目の頂点。道筋をつけたWR阿部の手で、甲子園ボウルMVPのトロフィーが光を放っていた。

 「今季初めて、背中で見せるプレーができた」

 リーグ戦で精彩を欠いても、大一番で勝利に導くのが最上級生の使命だ。4点を追う第2Q4分56秒、8ヤードのTDパスをキャッチ。11分35秒にも、QB奥野とのホットラインでTDを奪った。レシーブ10度、135ヤード獲得の数字だけでは計れない。背番号81の圧倒的な存在感が、オフェンスに勇気を与えた。

 「シーズンの最初は考える余裕がなかったけど、監督を日本一にというみんなの気持ちが結果につながった」

 4年生が残す言葉の意味が重い。立命大の台頭で、聖地が遠ざかった90年代後半。鳥内監督が「個人面談」を始めたのは、最上級生をコーチ役にして、チームを強化するためだった。200人を超える部員全員と、時に1時間以上も話をする労力は計り知れない。阿部は最初の面談で、「君には期待してるよ」と声を掛けられた。

 男と男の約束。だから負傷が続き、なかなか力を発揮できない自分に腹が立った。「甲子園ボウルがラストチャンスだと思って…」。背水の思いは闘将の心も打った。「阿部?(下級生とは)執念がちゃいますわな」。どんな勲章もかなわない、一言だった。

 先取点を含む3本のFGを決めたK安藤の働きも見逃せない。神大戦(9月29日)でFGを失敗した後、指揮官から直接、言葉を掛けられた。「普通に蹴れよ」。たった一言に潜む信頼感を知り、パフォーマンスは安定した。

 指揮官のタクトも、ついにラスト1試合。「ライスボウル?まあ、いろいろ考えますわ」。昨年、開催の意義を問うた社会人王者との実力差は頭にない。28年間の集大成として、最後の奇跡を起こす。

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/12/16/kiji/20191215s00040000550000c.html