こちらの続きです。
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さ、広報館を出てまず向かうのはこちら。奉安堂(納骨堂)です。中央の円筒形の建物がそれです。
開場してしばらくはあまり入居していませんでしたけど、今ではけっこう入ってますね。
ただ、番号の若い部屋は比較的ぎっちり入っていますが、続けて各部屋を見ていくと、最上段と最下段は空いていたり、「遺骨返還」の札が見られる納骨壇があったりします。全体としてはまだまだ空室も多く、需給が逼迫するなどということは当分ありません。
ま、世宗市と言っても要は忠清道、相対的な火葬率の低さは済州道といい勝負ですからね。
なので、慶尚道の昌原でも空きまくっていた屋外型納骨壇(奉安塀)は、案の定こんな調子です。これでも私の感覚では「けっこう入ってるなあ」と思います。
でもって、この並びにあるのが幽宅の丘。つまりは散骨場ですね。
火葬施設のあるところにはたいてい幽宅の丘がありますが、決まりきったデザインというものがあまりなく、新しいところはどこもシュッとしてモダンな作りをしています。こういったおしゃれデザインが問題になったとは特に聞いていませんので(私が聞いていないだけかもしれませんが)、おそらくこれは遺族の意向に逆らうものでもないのでしょう。火葬炉周辺の建築デザインも、こんな感じですしね。
あともうちょっとなのですが、ここは短めに切っておきましょうか。次が最後です。