【大邱の風景】国債報償運動記念館と記念公園
大邱編の続き。漆谷郡の現代公園から市内に戻ってきました。
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今度は前回のリベンジ案件です。
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前回は閉まっていた国債報償運動記念館、ここにリベンジを果たさなければなりません。
国債報償運動とは何か、また「ユネスコ世界記録遺産」とあることの意味などは、下記のリンク先や記事をご覧ください。
www.gukchae.com
ja.wikipedia.org
「国債補償運動振り返ってみるべき時」
2008.11.07 10:10保寧(ポリョン)製薬グループの金昇浩(キム・スンホ、76)会長は会社の仕事をする際も常に国のことを心配する。
最近、同社前の庭には大型の太極旗(テグッキ、注:韓国の国旗)がはためいている。先月1日、創立記念日を迎えて金会長が高さ30センチの国旗掲揚台を設けたのだ。国の経済が厳しい状況で、太極旗を見ながら頑張ろうという意味だった。
金会長は世界金融危機の余波で、韓国企業の輸出も順調でないこのごろ、エネルギーを節約し紙1枚でも惜しむよう職員らを督励している。101年前に国債補償運動を主導した金光済(キム・クァンジェ)先生の追悼事業に情熱を注ぐのもそうしたことからだ。
最近金会長は金光済先生の故郷で自身の故郷でもある忠清南道保寧(チュンチョンナムド・ポリョン)に追慕記念碑を設け、墓地を再整備し、入口の道路を整える作業を終えた。金光済先生は、大邱(テグ)で国債補償運動を開始したことから、大邱出身と思っている人が多い。
追悼事業会は昨年6月、遺族と地域の有志らが集まって結成した。先生の愛国精神を受け継ぎ、地域発展のために力を集めようという趣旨だった。金会長はこの集いの顧問で、財政的なサポーターだ。
追慕記念碑には1907年2月21日に金光済先生が大韓毎日新報に書いた公告文「国債一千三百万ウォン補償の趣旨」が刻み込まれている。この文は、全国民が禁煙して節約したお金で、親日派の李完用(イ・ワンヨン)内閣が日本から借りた1300万ウォンを返済し、経済的な隷属から抜け出そうと訴える文で、その後、愛国運動を広げる契機となった。
「国債報償運動をユネスコ世界記録遺産に」=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.13 13:42
1907年に発表された国債報償会趣旨書。4ページの分量に国債報償運動の意味と意志がまとめられている。「国が滅びれば民族も追って滅びたことは、ちょうど埃及(エジプト)、越南(ベトナム)、波蘭(ポーランド)が全て十分な証拠になります。今、国債1300万円がありますが、これはすなわち我々の大韓の存亡に関係することです。返済すれば国が保存され、返済できなければ国が滅びる形勢が必ず来るでしょう。…2000万同胞に、3カ月の期間を限定して南草(たばこ)を吸うのを止めてその代金で各人から毎月20銭ずつ納めるならば、ほぼ13000万円になります」
1907年2月21日、大邱(テグ)の北後亭(プックジョン)。印刷所である広文社(クァンムンサ)の金光済(キム・グァンジェ)社長と徐相敦(ソ・サンドン)副社長名義になっている「国債1300万ウォン報償趣旨文」が朗読された。大邱民意所(現在の大邱商工会議所)が開いた大邱群民大会でのことだ。広場に集まった数千人が拍手喝采を送った。これを始まりとし国債報償運動は全国に広まった。
国債報償運動記念事業会がこの運動を世界に知らせる作業を始める。国民が自発的に行った救国運動を世界の人々が記憶するようにしようという趣旨からだ。方法は関連記録をユネスコ世界記録遺産に登録することだ。
記念事業会は来月初めに「国債報償運動記録物のユネスコ世界記録遺産登録のための推進委員会」発足式を開く。学界と独立・愛国団体関係者たちが委員で参加する。地域大学総長や元大邱市長、慶尚北道(キョンサンブクド)知事などが顧問団に参加して力を加える。推進委は関連記録物の目録を作成して7月中に文化財庁に登録を申し込む予定だ。文化財庁を通過すればユネスコ韓国委員会を経てユネスコに提出される。選定の是非は2017年6月に決定される。
世界記録遺産の登録申請は国債報償運動を世界精神史に残そうとすることだ。国家の負債返済のために女性・学生・農民・官吏など全国民が参加した類例のない寄付運動であり近代女性・学生運動という点からだ。1997年の外国為替危機の時は金集め運動に継承された。キム・ヨンホ元記念事業会長は「民が国の問題に主役の意識でひとつになった歴史的出来事」とし、「大邱市民の関心が登録の是非を決めることになるだろう」と話した。
申請対象の記録物はまだ決定されていない。国債報償運動記念館が所蔵している国債報償趣旨書、義援金の領収書など35点、国学振興院・金融会社博物館・独立記念館と個人所蔵資料を合わせれば最大1000点余りに達すると見込まれる。問題は所蔵者の同意を受けなければならないという点だ。登録作業を担当する実務人材の補充も至急だ。
記念事業会のキム・ヨンギュン事務局長は「記録遺産として登録されればより良い記録物保存案づくりができ、世界各地で国債報償運動を紹介する展示会も開くことができるだろう」と期待している。
ともあれ、今回は開いてましたからね、中に入って展示を見学です。
パネル展示はだいたいこんな感じで、タイトルは4か国語、本文は韓英2か国語です。最近はこのパターンをよく見ますね。韓国語も碌にわからなそうなヤツがやってきたのを見て、受付のお姉さんが気を遣ってくれましたが、わからんならわからんなりに見学する(無駄というか無謀というか、な)経験は持ってますので。
さて、展示室は地下2層にわたっていて、パネル以外にもいろいろ趣向を凝らした展示があります。
この運動そのものは成功裏に終わったとは決して言いがたいのですけど、近代民族主義運動の原点としてしばしば振り返られることがあるものです。近年では1997年の「IMF危機」の時などに想起されたりしましたね。
日本ではあまり知られていない歴史ですし、わかりやすいとは言えない話ではありますが、興味のある方はぜひどうぞ。
やはり、こちらの記念館を(わからないなりにも)一通り見学してからの方が、この公園の理解は進むと思います。