福岡空襲75年、アメリカ兵慰霊法要

そういう話があるのは聞いたことがありますが、具体的なエピソードとしてのこれは初めて知りました。

「業を背負う」という心持ちとはどういうものなのか、軽々しく知ったようなことは言えないです。

戦争の業、私も背負う B29搭乗員を処刑 元戦犯の息子ら福岡で法要
2020/6/21 6:00
西日本新聞 社会面 久 知邦

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ロバート・アスピナル曹長=深尾裕之さん提供

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油山観音の本堂脇にたたずむ4体の地蔵に手を合わせる冬至克也さん=20日午後2時半ごろ、福岡市城南区(撮影・宮下雅太郎)

「悲劇の記憶、平和への意欲に」

 1945年6月の福岡大空襲翌日に、陸軍西部軍司令部で処刑された米兵の慰霊法要が20日、福岡市城南区の油山観音で開かれた。処刑に関わり戦犯として裁かれた元陸軍大尉冬至堅太郎さん(83年死去)の三男克也さん(66)らが参加し、米兵遺族からはメッセージが寄せられた。敵味方に分かれ、命を奪い合わねばならなかった親たち。「平和な未来への礎に」。双方の遺族の思いが交錯した。

 市街地を見下ろす油山観音。住職による読経の後、敷地内にたたずむ4体の地蔵に克也さんはじっと手を合わせた。

 45年6月20日、西部軍司令部は軍律会議を経ず、米爆撃機B29の搭乗員8人を処刑した。前夜の福岡大空襲に関わった米兵ではなかったが、冬至さんは空襲で母を失った憤りから、志願して4人に軍刀を振り下ろした。戦後、自決を考えるも油山観音の当時の住職に諭されて思いとどまり、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた。

 50年に減刑され、56年に出所した冬至さんは自宅庭に4体の地蔵を置き、後に小さな地蔵を加えた。あやめた米兵の慰霊と、4人にいたかもしれない子どもの健やかな成長を願ってしつらえた、と取材に語る父の姿を克也さんは覚えている。4体は冬至さんの死後、油山観音に託された。

 克也さんは「父は謝罪や後悔ではなく、自分が奪った命を一生背負うという気持ちを地蔵に込めた。父の業を私も負っていると感じる」と話す。法要への参加も、元戦犯の息子であることを隠さないのも、そうした思いからという。

 法要は日本に墜落したB29を調査する大分県の深尾裕之さん(49)の呼び掛けで実現。処刑された8人の1人、ロバート・アスピナル曹長=当時(25)=の息子ラリーさん(76)が寄せた言葉も紹介された。

 快活で人懐こい性格のアスピナル曹長は、航空機整備士として訓練を受けてB29の搭乗員に。だが民間人を対象にした空襲への参加を好まなかった。そんな父の姿をつづった息子は、メッセージをこう結んだ。

 ≪戦争は善良な人々を敵味方に分けて恐ろしいことをさせる。だから過去のことに罪悪感を持つ必要はありません。戦争という悲劇の記憶を、平和という困難な仕事をする意欲に変えていきましょう≫

 多くの犠牲を強いた戦争。その記憶の風化を克也さんは危惧する。「何の恨みもない人たちが命を奪い合う戦争そのものが罪悪だ。過去の事実と向き合い、未来のための礎にしないといけない」 (久知邦)

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