2.26事件から85年

以前にも2.26事件のことを記事にした記憶があったので振り返ってみたら、5年前のことでした。

blue-black-osaka.hatenablog.com

関係者の直接の遺族がなお存命で、公文書の公開も始まったところ。85年前の事件はまだ「終わっていない」と言えます。

2・26事件から85年 決起した青年将校、遺族ら参列して追悼
毎日新聞 2021/2/27 07:00(最終更新 2/27 07:00) 974文字

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処刑された青年将校らの墓に手を合わせる今泉章利さん。父の義道さんは事件の中心となった青年将校に突然決起を告げられ、部下の兵を守るためにやむなく参加したという=東京都港区元麻布1の賢崇寺で2021年2月26日、栗原俊雄撮影

 日本近現代史上最大のクーデター未遂となった「2・26事件」から85年となる26日、東京都内の2カ所で追悼式と法要が営まれ、決起に参加した青年将校らの遺族が参列した。殺害された人たちや死刑となった将校らの冥福を祈った。

 午前10時、東京・渋谷税務署脇にある慰霊像の前で追悼式が開かれ、今泉章利さん(71)らが参列し花や線香を手向けた。像は1965年、青年将校らの遺族団体「仏心会」が建立し毎年追悼式を行ってきた。周辺はかつて陸軍刑務所で、クーデターに失敗した将校らはそこで銃殺された。

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雪の中、東京・半蔵門前で市民を検問する反乱軍兵士。「東京が全滅する戦争だ」などの流言があった=1936年2月26日撮影

 今泉さんの父義道さん(95年没)は事件当時少尉。決起に加わり禁錮4年の判決を受けた。半世紀近く慰霊に関わってきた今泉さんはこの日も線香を手向け、「当時は政治や経済、社会などさまざまな矛盾があった。若い人にはそうした当時の背景を知ってほしい」と話した。

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警視庁中庭に集結した反乱軍兵士たち=1936年2月26日撮影

 午後には、事件で亡くなった人たちの墓がある東京都港区の賢崇寺で法要が開かれた。例年は遺族以外の一般の参列も可能だったが、今年は新型コロナウイルスの影響で関係者のみとなった。処刑された香田清貞大尉のおいで、仏心会代表理事の香田忠維(ただつな)さん(76)は「事件は多くの小説や映画などで扱われてきたが、誤解も多い」と指摘。事件の軍法会議の記録は長く非公開だったが、2017年に国立公文書館(東京都千代田区)で一般公開が始まったこともあって「1次資料で歴史的に評価してほしい」と話した。

 また、同じく処刑された安田優(ゆたか)少尉は熊本・天草出身で当時のエリートコースだった陸軍士官学校に進み、将来を期待されていた。弟の善三郎さん(95)は「優しくて自慢の兄でした」と振り返る。事件後、両親は「親を困らせたことのない孝行息子だったのに」と驚き、嘆いたという。安田さんは毎年参列してきたが、今年は体調がすぐれず見送った。「事件で亡くなった人、ご遺族には申し訳ありません。今年は自宅でご冥福をお祈りしました」と話した。

 事件は36年2月26日未明、青年将校らが「昭和維新」を目指して決起。下士官や兵およそ1500人を率いて閣僚や陸軍高官、護衛の警官らを殺傷し、国会議事堂や首相官邸などを一時占拠したが29日に鎮圧された。青年将校らは上告なし、弁護人なしの非公開の特設軍法会議で審理され、19人が処刑された。【栗原俊雄】

https://mainichi.jp/articles/20210226/k00/00m/040/365000c