「学者の腐ったようなやつ」

20年ほど前の学会では、学会発表のあとの質疑応答で「重箱の隅をつつくような」質問をして、発表者が答えられないと、「『こんなこと』も知らない人間にこの論件について語る資格はない」というかたちで切り捨てるタイプの学者がときどきいた。
私は彼らのことをひそかに「学者の腐ったようなやつ」と呼んでいた。
「学会」とかいうと、「そういう突っ込みもありでしょ・・・」と訳知り顔をされる方がいるかも知れないが、そういうものではないです。
例えば、映画について発表したとしますね。そのときに、「スカーレット・ヨハンソンジャッキー・チェン冷し中華を食べているあの有名なシーンで、ジャッキーのお皿にナルトが何枚載っていたか、あなたは言えますか?何、覚えていない?『こんなこと』も知らない人間に(以下略)」というような言いがかりに取り合う気にあなたはなれますか?
私はなれない。
「重箱の隅」的知識にこだわる学者は「自分の知ってる知識はすべて万人もまたこれを知っているべきものであり、自分の知らない知識は万人にとって知る必要のないものである」ということを不当前提している。
彼らは、どうして自分は自分の知っていることの重要性をオーバーレイトし、自分の知らないことの重要性をアンダーレイトするのか、その非対称の理由についておそらく一度も省察したことがない。
トリヴィアルな知識は豊富であるが、自分の知識についての評価ができない人々を私は「学者の腐ったようなやつ」とカテゴライズし、まとめて火曜日の生ゴミの日に出していたのである。


http://blog.tatsuru.com/2008/09/24_1730.php

いるんだ…この手の人は実際いるんだ…。
それだけのネタで論文を書き上げてしまうような人が…。