映画「マルモイ」を観る。
これは、韓国での公開直前の時期に釜山の映画館でチラシを見たのですが、日程が合わなくて観れずじまいだった作品です。今回、京都シネマでようやく観ることができました。
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「鳳梧洞戦闘」に続いて主役を張ったユヘジンですけど、やはり泥臭い役は似合いますね*1。キャラクターの魅力でストーリーをどんどん編み上げていくんですから、名脇役に留めておくのはもったいない人です。
実は、韓国の知人からは「まあ、微妙やけどね」という評価を聞いていたのですが、その意味するところは分かっています。下のコラムにあるように、これは「虚実入り混じった」作品で、日本官憲側の描写が都合よく単純化されている点は否めません。ただ一方で、このストーリーの根幹となる事件があったのは確かで、そのエッセンスを凝縮するための整理と演出という面もありますから、それは「そういうもの」として了解して観る必要があります。
もちろん、重いといえば重いテーマですけど、作品としてはコメディー要素もたっぷり入った、エンタテイメント性の高いつくりになっています。そういう意味で、作品としての見どころはむしろ、権力を目をかいくぐって抵抗する側の生きざまと、エンディングの「その後」にありますね。
個人的には、同じユヘジン出演作でも「鳳梧洞戦闘」よりも「タクシー運転手」を連想しました*2。観甲斐のある、いい作品です。
映画の舞台となっている40年代は、あらゆる面で日本による朝鮮への弾圧が強くなった、日本の戦争遂行のための犠牲を強制された時期である。10年の日韓併合に始まる日本の朝鮮支配は、31年の満州事変以降、「内鮮一体」(日本と朝鮮はひとつ!)、「日鮮同祖」(日本と朝鮮の祖先は同じ!)といったスローガンのもと、朝鮮語の使用禁止、創氏改名といった皇国臣民化や、軍隊への徴兵、労働者の徴用など、兵力や戦争物資の安定した確保のための政策を展開していた。とりわけ太平洋戦争勃発後は、「朝鮮人の日本人化」への動きが一段と強化され、現在韓国ではこの時代を「民族抹殺期」と規定しているほどである。日本人は朝鮮民族の言葉や名前と共に、朝鮮人としての精神までも奪おうとしたのだ。
こうした当時の社会情勢は、例えばパンスが働く映画館で上映されている『朝鮮海峡』(パク・ギチェ監督、1943年)という映画が朝鮮人の志願入隊を題材にしていることや、ドクジンが通う学校での朝鮮語使用禁止、創氏改名の強制などを通して描かれている。パンスの幼い娘が無邪気に日本語を話そうとする姿は、幼子の純粋さが際立つだけに、一層胸が締め付けられる場面である。
本作はそうした民族抹殺の時代を背景に、朝鮮語辞書を作ろうとした33人が逮捕されて拷問を受け、2人の死者が出た42年の「朝鮮語学会事件」をモチーフにしている。
今回のコラムでは、本作が虚実入り混じった作品であることを理解したうえで、どこまでが史実でどこからがフィクションなのかを明らかにしてみたいと思う。そのためには、映画の中心である「朝鮮語学会事件」とはどのような事件だったのか、そして「マルモイ」はどのように生まれたのか、その経緯を紹介していこう。
日本による朝鮮の植民地化が色濃くなっていく日韓併合の直前、朝鮮語学者チュ・シギョン(1876~14)は、朝鮮語消滅の危機感を抱き、本格的に朝鮮語研究を開始。そのために辞書の必要性を痛感した彼は11年、弟子たちと共に辞書作りに着手する。これが「マルモイ」の始まりなのだが、3年後チュの死とともに辞書作りは惜しくも中断し、再開したのは15年もの月日がたった29年のことだった。この年、朝鮮語学会に属する108人の学者たちが集まり、チュの遺志を継いで「朝鮮語辞典編纂会」という組織が発足したのである。
編纂会はまず、バラバラだったハングルの書き方を整えた「ハングル正書法統一案」を発表、36年には「朝鮮語標準語査正案」を定めて、およそ6000の標準語を指定した。ところが標準語は定まったものの、ここで別の問題が浮上してしまう。各地方の方言が抜けていたのだ。そこで彼らが思いついたのが、学会誌「한글(ハングル)」に全国の方言を募集する広告を出すことだった。すると、全国各地からそれぞれの方言や意味を記した手紙が殺到、ますます辞書作りにいそしんだというわけだ。
方言の収集をめぐっては、劇中でも公聴会を開いて標準語を決めたり、各地方出身のパンスの仲間たちの協力で方言を集める場面を通して描かれているが、映画が40年代として描いているのに対して、実際は36年の出来事である。ちなみに、お尻の細かな部位を示す「궁둥이(クンドゥンイ)」と「엉덩이(オンドンイ)」の違いが説明できなくて困っているジョンファンをパンスが助けるエピソードは、実際にあったものらしい。
40年には総督府からいったん辞書作りの許可を得たものの、翌年の太平洋戦争勃発により一気に社会全体が臨戦体制に転換、日本統治下の朝鮮で「民族抹殺」政策が厳しくなると、総督府は政策に真っ向から違反する「朝鮮語辞書」の存在を無視できなくなっていった。だが学会は弾圧に抗いながら辞書作りにまい進したため、42年、総督府は学会を独立運動団体に指定し、内乱罪を適用して33人のメンバーを検挙、「マルモイ」の原稿も没収してしまった。逮捕されたメンバーらは裁判にかけられ、投獄されたうちの2人が拷問を受けて亡くなっている。これが朝鮮語学会事件の概要である。
劇中では、ジョンファンとパンスが「マルモイ」の原稿を持って警察の追跡から逃げる場面があり、パンスは最後に駅の倉庫に原稿を隠すのだが、このあたりの描写は多くがフィクションである。ただし、現実は映画以上に奇妙な物語をたどることになる。
戦争直後、裁判の証拠品としてあちこちに散逸し、行方がわからなくなった「マルモイ」の原稿が、45年9月に京城駅の倉庫で偶然発見されたのである。日本の裁判関係者が引き揚げ時に捨てたのではといわれているが、映画では「命をかけて言葉を守ろうとした人たちがいた」という事実を、フィクションに乗せてドラマチックに再構成しているといえよう。
こうして困難な時代を乗り越えて、ついに47年、『朝鮮語大辞典』第1巻が出版された。その後も57年までに全6巻が作られ、チュ・シギョンから始まった朝鮮語辞書の夢は46年の時を経て「マルモイ」として形になったのである。この原稿は2012年、韓国の国家文化財に指定され、今でも国立ハングル博物館で目にすることができる。
「マルモイ」作りは、実際には日韓併合前後から戦時下の厳しい時代を経て戦後に達成した、半世紀近くにわたる歴史であるが、映画では時間を凝縮し、コンパクトにまとめることで、エッセンスがより伝わるように工夫されているのである。
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