居昌事件の地へ

韓国現代史上、거창사건(居昌事件)と呼ばれている事件がある。日本語でのいい説明がネット上にはあまりないので、とりあえず韓国語での辞書的説明を引用すると、その概要は次のとおりである。

거창사건(居昌事件) <역사>6, 25 전쟁 중인 1951년 2월에 경상남도 거창군 신원면에서 일어난 양민 집단 학살 사건. 당시 지리산 공비 토벌 작전을 벌이던 육군 제11사단 제9연대 제3대대가 주민 600여 명을 공비와 내통하였다고 잘못 판단하여 중화기(重火器)로 무차별 학살하였다.

http://kordic.nate.com/dicsearch/view_sd.html?i=1525700

要するに、朝鮮戦争当時、慶尚南道居昌郡神院面で、共産ゲリラ討伐の名目で韓国軍が住民を無差別に虐殺したのである。この事件は早くから問題にされていたのだが、軍当局が事の非をなかなか認めようとはしなかった。そのため、良民虐殺事件としての追慕事業が始まったのは1996年、この事件に関する特別法が制定されてからのことである。現在は、国費を投じて作られた居昌事件追慕公園が現地にある。
ソウル南部市外バスターミナルから居昌市外バスターミナルまではおよそ3時間半、バスの料金は17800ウォンである。

問題は、ここから追慕公園までのアクセスである。市外バスターミナルのある居昌邑から追慕公園のある신원면(神院面)までは、1時間に1本ほどのバス路線が通ってはいる。だが、任実のように共用バスターミナルとして発着するのでもなく、永川のようにバスターミナルの前にわかりやすく停留所があるわけでもない。初めて居昌に来た人間が追慕公園まで行くバスを捕まえるのは非常に難しいと思われる。多少は下調べをしたつもりの私もお手上げであったので、諦めてバスターミナル前からタクシーに乗った。
追慕公園まではタクシーで23000ウォンほどかかる。山越え谷越え、なかなかの遠路である。



こうして見ると、とんでもなく人里離れた僻地にあるように見えるが、実はそうではない。この追慕公園は神院中学校のすぐ裏手にあり、中学校の周辺は神院初等学校やバス停留所もある神院面の中心地となっている。帰りにはこのバス停から居昌行きのバスに乗ったし(料金2000ウォン)、ここからは居昌とは反対側の산청(山清)行きのバスも出ている。




この追慕公園が人里離れたところに建設されたことを指摘する意見は、下記の新聞記事などを例として少なくないのだが、実際に行ってみての意見として、その見解には同意できない。

www.jemin.com

そもそも事件自体、居昌郡内のことであるが、決して中心地である居昌邑で起きたことではない。四囲に山が迫るこの神院面において、すべてのことは起きたのである。虐殺現場の一つであり、旧合同墓域のあるこの地においてしか、この施設は成り立たないであろう。朴正熙政権期に軍によって倒され、表面を削られたという合同墓域の慰霊碑はそのままの形で置かれ、道路を挟んで追慕公園に向かい合っている。





そうした意味で、歴史教育館なども確かにあるのだが、ここは基本的に、国民教育や国民的記憶の場である以前に、何よりもまず国軍による虐殺の犠牲者となった神院面の死者と遺族のための「墓地」なのである。したがって、その造成に国費が投じられ、清浄に維持されること自体に、第一の意義があると言えるのではなかろうか。訪れる人が皆無でよいとは言わないが、それ自体はこの施設の意義として第二義第三義となろう。




綺麗に揃った墓碑が並ぶ墓域をよく見てみればよい。1951年2月10日もしくは11日に亡くなっている老若男女の遺族として刻まれているのは、子や孫や曾孫であり、父母であり、配偶者であり、兄弟姉妹であり、甥や姪、叔父叔母、養子、さらに遠縁の者など実に多様である。無縁の者・名の伝わらぬ者も少なからず見られる。死者との地縁血縁関係におけるその生々しさは、ナショナルなものとの関係において国立民主墓地とはまた異なる立ち位置にあることを感じさせる。





外部者の訪問に積極的な意義が見出せるとすれば、一般人よりも国軍関係である。これについては上級将官クラスだけでなく、新兵教育の場としても訪問がなされれば、その意味するところは大きいはずだ。戦争記念館みたいなとこだけ行ってもあきませんって。