『中国新聞』8月6日のコラム

記念館との関連で思い出されたのが、『中国新聞』のこのコラム。
遺族は死者から何を受け取り、自らの生の後に何を遺そうとしているのか。それを受け取った人々はどうするのか。
この営みの中に、「死者とのコミュニケーション」というものが垣間見えるのではないかと思うのだ。

遺品 '09/8/6

娘が着ていた女学校の制服が形見となった。焼け焦げてぼろぼろ。それでも母は桐箱(きりばこ)に入れて大切にした。月命日の度に取り出しては涙を流した。その遺品が先月から、原爆資料館で展示されている▲「ごめんね。ごめんね。熱かったじゃろ」。説明に添えてあるのは母の言葉だ。建物疎開に出ていて閃光(せんこう)を浴び、手当てのかいなく息を引き取った。母は生前、いつも制服に向かって謝っていたという。じっと読んでいた女子高生はハンカチを目に当てた▲あの日を語る遺品にはすべて忘れがたい記憶がある。ただ子や孫の代になれば、意味が忘れられてしまうかもしれない。それならいっそ…ということなのだろう。大事な形見を資料館に寄贈する人が増えてきた。爆心地近くで拾った瓦のかけらを「遺骨代わり」と託した人もいる▲前身の陳列室から数えて今年で60年。遺品など資料館の収蔵点数は2万を超えた。温度は22〜23度、湿度は50%。年中変わらぬ地下の収蔵庫では、衣類を桐のたんすに入れているという。遺族の思いをくみ、きちんと未来に残したい。そんな気遣いも感じる▲ただ公開できているのは、全体の2%ほどだ。やがて被爆者から証言がじかに聞けない時代になる。遺品にどう語らせるか。それにどう耳を傾けるか。

http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te200908060223.html