シネマート心斎橋で映画「君の誕生日」を観る。

あのセウォル号事故とその遺族を正面から取り上げた「君の誕生日(생일)」、シネマート心斎橋で観てきました。

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何故、その悲しみは癒えることなくとどまっているのか。何故、その日、その時、父と母はそこにいなかったのか。

当時、遺族が置かれた社会状況、彼らが見たであろう光景を追いかけつつ、その一方で、はじめは隠されていた主人公たちの内面と背景が徐々に解き明かされていきます。現実と、現実をベースにしたフィクションとが、人々の抱えた傷を形にし、苦しみぬいた末の家族の再生までを描き出しています。

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切なくて、悲しくて、胸が痛むストーリーです。

でも、この作品、私は泣けなかったんですよね。涙が出なかった。

たぶん私は、スホに思い入れることができなかった。

友だちがたくさんいて、明るくて、人気者で。その日その時、友人に救命胴衣を譲り、甲板へと押し上げ、自らは流されたスホ。

確かに、惜しむべき死だったでしょう。悲しむべき死だったでしょう。

でもその陰には、孤独で、目立たなくて、何をするでもなく流されて息絶えた少年少女もいたはずなんですよね。

いや、そうは言っても、高校生なら、クラスメイトはいます。同じ学校で教室をともにしている限り、誰かしらと何かしらの繋がりはあり、何かの思い出を共有する人は探せばきっといるでしょう。

けれどもしかし、セウォル号は、修学旅行生の貸し切りだったわけではないんです。そこには一般の乗客もおり、事故の犠牲となった者もいました。彼らには彼らの家族や仲間がいて、そちらではそちらで遺族が悲痛な苦悩を抱えていたはずです。

そうした一般人犠牲者遺族の目線は、この作品のどこにも見当たらなかった。一人の高校生と、その仲間と、その家族の物語でしかなかった。私はそこで、話としては聞いていた「檀園高犠牲者遺族と一般人犠牲者遺族との分断」の溝深さを、身をもって感じたのです。

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私自身、檀園高犠牲者の地元である安山を(事故以降)訪れたことがなく、一般人犠牲者の追慕館がある仁川を訪れたことがあるが故の偏りを抱えていることは自覚しています。しかし、仁川家族公園のあの追慕館を知る者として、ここまで綺麗に存在を「消去」されたストーリーを見せられると、涙が乾く思いを禁じることはできませんでした。

もちろん、映画作品である以上、ストーリー上の都合などいろいろ事情があるのは、わかってますよ。「一般人犠牲者の話も取り入れろ」といってるわけではないんです。

でもやはり、思うわけですよ。「ああ、こういう風に見えてる(見えてない)のか」と*1

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そういう次第で、「悲しい話だな」と思ったものの、その思うところが、同じ映画を観ていた他の人たちといささかズレていたように思います。それ自体は社会的な意義もあるいい映画ですけど*2、私としては感動の前に留保が付かざるを得ない作品でした。

*1:イジョンオン監督は、「安山でのボランティア」で遺族と接したことがストーリーの着想につながったと言っておられるようなので、そのように感想を述べてもさほど的は外していないと思われます。

*2:特に、ソルギョングの演技がよかった。時にアンソンギに見えたりもして、「その後を継ぐ者」感が出てきたような気がします。