仁川の博物館2題
夕方から地下鉄1号線方面に用事があったので、同じ方向の仁川訪問をついでにセッティング。
まずは東仁川駅から北の4番出口を出て、北東方面へ大通りを越えて、市場っぽいまっすぐな坂道を登る。
左に高層アパート群と教会を見ながら上りきった先にあるのは、「水道局山タルトンネ博物館」である。
任期を勤め上げてお役御免となったはずの粘着ヒトデ王もお出迎えしてくれている。
この博物館の説明については、仁川広域市東区の説明を引用していこう。
http://www.icdonggu.go.kr/foreign/japanese/tourist/soodo.asp
水道局山タルトンネ博物館は1960~1970年代のタルトンネ(貧しい人々が集まる高台の集落)の庶民の生活をテーマにした体験型の第1種近現代生活史専門博物館として2005年10月25日に開館した。延べ面積1,950.85?の地下1階、地上1階の博物館は東区松現洞163番地、松現近隣公園内に位置している。博物館は当時を経験した世代には郷愁を、若い世代にはかつての生活を理解する教育の場として活用されている。
水道局山タルトンネは仁川で育った人々には懐かしい故郷とも言える場所である。仁川で3世代に渡って暮してきた仁川っ子ならば「水道局山」と言えば「タルトンネ」と思い浮かべるであろう。タルトンネは現在でも全国の大都市の周辺に残る都市産業化の副産物と言えるが、特に水道局山タルトンネはその中でも由来及び歴史の深い場所である。
東区では歴史に埋もれて忘れ去られようとしていた水道局山タルトンネの生活を後世に伝えるべく、かつてのタルトンネの場所に博物館を建設した。記憶から消えかけていた水道局山タルトンネの庶民の平凡な生活と日常を博物館の主なテーマとした点は韓国の博物館においても異例のものとして注目されている。
日本にもこの手の施設はいくつかあると思うが、再開発されたアパートや公園がかつてこうした「月の町=タルトンネ」であったことの記憶を、どうにかして残しておきたいという思いが、人だけでなく土地の思いとして、ここには刻まれているような気がする。
規模的には大した大きさではないが、細かいところまで作りこまれた再現セットの作りの丁寧さは、かつての住人たちがその製作にしっかりと関わっているだろうことを、容易に推測させる。何度か通って繰り返し見てみても、その度に新しいことに気づく。そのようなところだと思った。
博物館から東を望む。この公園もかつてはタルトンネであったのであれば、こちらの方角に朝日を拝んだことになる。
その後、東仁川駅前に戻って、バスで月尾島に移動。2つ目の目的地である「韓国移民史博物館」を目指す。
月尾島行きのバスを降りて、「月尾島といえばここ」という海沿いを歩いて過ぎ、完成の予定が来月にまでずれ込んでいるモノレールの「移民史博物館」駅を過ぎてさらに歩くと、海事高等学校の向かい側にようやく博物館の建物が見えてくる。
こちらも、仁川広域市中区の紹介文を引いておこう。
http://jpn.icjg.go.kr/menu03/museum_01.asp#
韓国移民史博物館は2003年、アメリカ移民100周年を迎え韓国の先祖たちの海外での開拓者の生き方を讃え、その足跡を子孫たちに伝えるために仁川広域市市民と海外同胞たちが意志を供にして建立した韓国初の移民史博物館です。
韓国で初めての公式移民の出発地であった仁川で韓國初の移民史博物館を建立することにより、100年あまりの韓国人の移民歷史を体系化できる基盤がようやく作られました。韓国移民史博物館はこれから国内・外の同胞社会のネットワーク形成を通じて過去の志向ではなく700万の同胞たちの生き方と悲しみ・喜びが息づく現在と未来が共存する場所です。
さて、こちらはどうだったかというと、申し訳ないけど正直いまいち展示内容がこなれてないという感じがする…。
それは、外国語のできない私にとって韓国語と英語だけで日本語の説明文がなかったから、というような単純な理由によるものではないと思われる。
正直言って、この2層にわたる展示や説明を通してみても、「韓国の移民の歴史」というのがよく見えてこないのである。すぐに気づくのは、1910年以前と1945年以降、そして「それ以外」という時代区分によって多くの展示や説明が分断されていて、それを通した「移民史」というのがよくわからなくなっている点であろう。
先ほどのタルトンネ博物館を引き合いに出しながら言えば、移民であった人だけでなく、移民先の土地にも染み付いた記憶のようなものが、ここには希薄であるような気がする。
もちろん再現型・体験型の展示はあるのだが、どうもそこには血が通っていない。なんだか建前と奇麗ごとのオブラートに包まれているような、そんな感じがしてならないのである。
とりあえず、モノレールの駅まで作るからには、月尾島観光特区の目玉施設の一つにしようという思惑も仁川市にはあると思うのだが、このままでは「一度行けば十分なところ」でしかない。移民者自身はともかく、一般人でリピーターが生まれるとは、このままであればあまり考えられないだろう。
ちなみに、日系移民と同じく、ラテンアメリカへの移民も大きな比重を占めている韓国移民史。メキシコに始まってキューバ・ブラジル・アルゼンチンなどと説明は続くのだが、最後に(付け足しのように)「チリ・ボリビア韓人史」というパネルがあった。
曰く「当時、韓人たちはボリビアをブラジルやアルゼンチンに渡るために一時滞在するという意味で〈大田停車場〉と呼んでいたという」。でもって、「仮に経由地であったとしても、ボリビアはやはり南米移民史において大きな役割を占めている」と。
どうにこうにもならないあまりに適当な説明文…ボリビア(とボリビア移民)をなめとるだろ。パネル以外のボリビア移民に関する資料もまったくなかったしなあ。
例えば、こういうあたりに、「(展示内容や説明の)血の通ってなさ」がにじみ出てくるわけだ。