独立紀念館のラビリンス

実は昨日、竝川の帰りにこちらにも寄っていた。

週末、独立記念館ゲート前の広いスペースは、子どもやカップルがローラースケートやレンタサイクルなどで思い思いに風を切る格好の場所になっている。

展示館についての現状だが、現在は第1展示館・第7展示館が改装中であり、第2〜第6展示館と4D立体映像館が観覧可能である。ちなみに去年行ったときには、今回下記の写真を撮った第6展示館が改装中であった。現在休館中の2館が再オープンすれば、ここ数年の一連の改装はいちおう一段落つくことになる。



というわけで、今回の改装の全貌がだいたい見通せる段階に現在来ていると言っていいと思うが、その上での率直な感想として「迷宮に入り込んだなあ…」と思う。

設備としては最新のものを導入し、展示形式も洗練されたものになっている。展示資料も以前より格段に増え、新しい研究成果も反映されたものになっていると思われる(ざっと見ただけなので必ずしも確言はできないが)。元の規模が巨大であるだけに、これらを全て通して見て回ると、相当のボリュームになる。

しかし、そうしたイノベーションの努力にもかかわらず、「自由と独立に向けての闘争の歴史」の教育の場としての機能が強化されたかと言えば、首を傾げざるを得ない。様々な手段を駆使して、細部にわたる歴史的事項を思う存分盛り込んだにもかかわらず、むしろそれ故に、「これはけっきょく何なのか」という点が、前よりも理解し難くなっているように思えてならないのである。

現時点で5館にもわたるここの展示を見たあと、人々の頭に何が残るかというと、目新しいが断片的ないくつかの事々以外には正直、何も残らないのではないだろうか。このままでは、せっかくの新展示も、おそらく予想以上の速度で古びて見えてくるだろう。

改善刷新の努力を認めることにやぶさかではないが、その一方でやはり何かを見失ってしまっている。独立紀念館を前にして、そのような印象を私は禁じえない。

ここが、ある時代の痕跡であるならば、それはそれでかまわないと思う。跡地なら跡地なりに、生かしようもあるからだ。

広大で索漠とした一時代の跡地。ここに来て思い出すのは、万博記念公園のありようである。その土地利用のあり方、文化施設・スポーツ施設・庭園の展開状況は、独立紀念館の将来的な身の振り方を考えるにあたって、きっと参考になるはずである。

例えば民族学博物館。民族学文化人類学が学問として博物館と研究所の内実を満たすだけの内容を持っているがゆえに、民博が成り立っているのだとすれば、「独立」にそれだけの内容が見出しうるか。

そのようなことを考えてみるのも、そう悪いことではないはずだ。