【光州の風景】全南大学校図書館前

昨日の記事からのちょっとした余話のようなものとして。

光州にある国立の全南大学校。この正門前での学生デモと鎮圧部隊の弾圧とが光州事件の発端になったことはよく知られている。

ここからキャンパスに入り、並木道の突き当たりのロータリーの先、学生会館の向かい側にあるのが、全南大の図書館である。そしてその前には、池を中心とした広場が広がっている。

この池の真ん中にあるモニュメント。実はこれ、2004年5月18日に建てられた「임을 위한 행진(あなたのための行進)」と題した彫像である。


光州事件に思い入れを抱く人々にとってのこうした象徴を、国家主導で式典から排除するという選択は、その象徴への人々の思い入れの度をかえって増すという効果を、さしあたりは生むことになるだろう。


ハンギョレ・サランバン|[道を探して]‘あなたのための行進曲’初録音…泣きながら歌った

私は今でも27日のその明け方を永遠に忘れることができません。私たちは言葉が出せなかったし、その寂寞感に鳥肌が立ちました。遺言になるかもしれないその瞬間、部屋の中で丸く座り、最後のマッコリ杯を回し飲んだ後、わずかなお金をもし生きてこの席を抜け出すかもしれない人々の交通費として分けました。ヨンジュンも… (ユン)サンウォンも…それが最後の夜になってしまいました。’

その明け方、すさまじい銃声を聞きながら彼女は光州を抜け出しソウルへ向かった。しかし悲しんでばかりもいられず、逃避しても‘光州の真実’を知らせる印刷物と‘闘士の歌’テープ、‘抗争日誌’製作などで忙しかった。事態が落ち着いた後、光州に再び下ってきて負傷者の現況把握と分類作業を続けた。‘何をしてでも光州を知らせなければならない。’それが生き残った者の持分だと考えた彼女は酒と精神科治療でも癒えなかった生き残った者の苦痛を抱いたまま、彼女は光州市民たちが暴徒ではないことを知らせる真実闘争を止めなかった。

81年春、そのものものしい警戒の中で演劇<誰が、黒リボンを付けたのだろうか?>を舞台に上げた。ナムド芸術会館でファン・ソギョン,ホン・ソンダム,オ・ジョンムクなどが主導した‘光州のための演劇’が初めて上演された日、彼女はホン・ソンダムが製作した抗争スライド上でキム・ジョンニュルの‘黒いリボン’が鳴り響く最後の瞬間の感動を今も忘れることができない。‘…私は今日黒リボンをつけた…あなたは白い囚人服を着たけれど…私は今日黒リボンつけた’

その年の冬、光州、雲岩洞のファン・ソギョン,ホン・ヒユンの家の2階書斎で‘あなたのための行進曲’を初めて歌い録音した。“愛も名誉も名前も残さず…”オ・ジョンムクが最初の小節を歌い、彼女が“生き残った者よ続きなさい”を泣きながら歌った。‘労働烈士’故パク・キスンと‘最後の市民軍’故ユン・サンウォン烈士の魂の結婚式をノレグッ形式で表現したこのテープは、韓国キリスト青年協議会(EYC)が製作し全国に広まった。敗北意識をぬぐい去り前進する新しい歌が誕生したのだ。