【高陽の風景】高陽市顕忠公園と金井窟

高陽市を訪れたこの日は、新村駅から京義線に乗りました。

現在、京義線の列車は、大半がデジタルメディアシティから孔徳へ行きますが、1時間に1本程度はソウル駅行きがあって、新村にはその電車が止まります。ですから、たいへん立派な駅舎でありながら田舎の駅以下のローカルぶりで、改札口前に以前はあったコンビニもなくなっていました。

ただ、ここから京義線に乗る人がいないわけではなく、通過列車もけっこうあって、電車待ちはそんなに退屈ではありません。


今回降りたのは炭峴(탄현)駅。目指すのは、高陽市顕忠公園と金井窟です。

「戦争の何を記念し記憶するか」という政治

金井窟への行き方

炭峴駅から顕忠公園までは、道路を渡るだけのことです。駅からも公園内の土饅頭がよく見えます。




ここはもともと、朝鮮戦争時に反共活動を行なった「太極団」の集団墓地として成立し、1961年に政府から「反共遺跡地」第1号に指定されたところだということです。そのような場所に、高陽市が手を入れて、その他の機能も盛り込みつつ公園として整備して、現状に至っているようです。






旧来の墓域は上記のとおりですが、その北側に、新たに整備されたであろうエリアが広がっています。書かれている文章を読むと、2010年に完成したらしいこれらの施設は、独立運動家・殉国先烈を対象としたもので、参拝広場・位牌室・忠魂塔からなります。





参拝広場のモニュメントの後方にある位牌室は正面がガラス張りになっていて、中に安置されている位牌を覗くと、ほとんどの肩書が軍人軍属もしくは警察官になっていました。おそらく、高陽市関連の参戦有功者(おもに朝鮮戦争関係)のものだと思われます。


かくして、太極団+軍警戦死者で構成された「顕忠公園」の完成、となる…はずなのですが、今の韓国はそんな死者顕彰が簡単に通る社会ではないようです。

そのことを示唆するのが、公園の入り口にある「高陽市顕忠公園展示館」です。上で見たような死者たちを抱えるこの公園で、どのような展示がされているのか、興味津々で見てみようとしたところ、入り口にはこんな張り紙があり、管理室以外はがらーんとして空っぽの状態でした。


どんな「内部事情」によって、展示館の開館が当分遅延することになったのやら…。仮に訊いたところで、この書き方から推測するに、もにょもにょした答えしか返ってこなさそうです。

ただ、この光景は、「死六臣」をめぐる歴史館の閉鎖騒動を想起させるに充分です。展示内容をめぐる葛藤や対立がそこにあるだろうことは、容易に想像がつきます。

で、これを「高陽市歴史認識」の問題だととらえれば、そこで問題になってくるものこそ、おそらく金井窟なのだろうと思われます。

顕忠公園からは炭峴駅を挟んで反対側、駅前から広がるアパート群を抜け、韓国の養子問題を考えるときには必ず出てくるホルト夫妻ゆかりの施設を過ぎて、「高峰山三叉路(고봉산 삼거리 )」まで2キロと少しの道を歩きます。




ホルト女史米国で他界、韓国に葬られる
AUGUST 02, 2000 12:41 by 權基太(ゴン・ギテ)記者

韓国孤児の「守護天使」として一生を捧げてきたホルト国際児童福祉財団の設立者であるバーサー・ホルト女史が、先月31日なくなった。 ホルト国際児童福祉財団(韓国内の法人はホルト児童福祉財団)は、ホルト女史が先月31日、アメリカのオレゴン州・ユージン市の自宅で息を引き取ったと発表した。 享年96歳であった。
ホルト女史は先月25日、毎日の散歩を終えたあと、心臓発作を起こし病院で治療をうけてきたが、結局蘇生ことができなかった。

ホルト女史が創立したホルト児童福祉財団は、これまで1万8000人の韓国孤児の国内養子縁組をし、7万人は外国の家庭に養子縁組をとりもった代表的な孤児救護機関である。 ホルト女史は、朝鮮戦争直後である1955年、韓国の間の子孤児に関するドキュメンタリーを見たのをきっかけに、夫と共に孤児養子縁組事業を始めた。 女史の夫、ハリー(1964年韓国で死亡)は当時、木材事業で大金を稼いだが、心臓マヒで死の直前までいくという体験をしてから、「残りの人生は神様の恵みにお応えしよう」という事で、孤児養子縁組事業を積極的に行うようになった。

ホルト女史の遺体は、遺言により7日韓国に運ばれ、葬儀は9日午前10時、京畿道コヤン市にあるホルトイルサン福祉タウンでホルト児童福祉会葬で行われる。 女史は福祉タウン内にある夫の側に葬られる。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2000080214968&path_dir=20000802

レポート「아이수출=子ども輸出」vol_3~[ホルト児童福祉会]設立 - RGBとCMYの不思議な関係

韓国の国際養子縁組率について - こちら春川便り

図書館を過ぎて少しすると、目的の三叉路が見えてきます。炭峴駅から行けば、三叉路に向かって左手に、金井窟へのアプローチがあります。




このトーテムポールのような看板を目印に山道に入れば、ものの数分で金井窟までたどり着きます。山歩きのコース上にありますので、見逃すことはまずありません。




この金井窟で起こされた良民虐殺事件と、先ほどの太極団+軍警戦死者との間で、どうバランスを取るのか。これがそれぞれの「当事者」である遺族会在郷軍人会などであれば自分の立ち位置の選択に問題はないのでしょうが、高陽市のような地方自治体や、あるいは国家組織としての国家報勲処などは、片一方を黙殺して済ますわけにはいきません。




現時点ではあくまで推測にすぎませんが、先に見た顕忠公園展示館の有様は、こうした歴史認識上の問題が存在することを象徴しているのではないかと思われます。

かつては全く無視されていた、死者をめぐるこうした葛藤を、無視できない問題として韓国社会に定着させたのは、金泳三・金大中盧武鉉という3人の大統領の「功績」です。社会の成熟という観点から、このことは積極的に評価されてよいと、私は個人的に考えています。


あ、ちなみに帰りは、駅まで戻るのもめんどくさかったので、近くのアパート前のバス停から座席バスに乗って、ソウル駅前まで戻りました。